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律令制度から廃藩置県までの行政区分と地方自治

行政区分

日本で現在使われている行政区分は都道府県です。東京都や北海道、大阪府などのことです。                                 これは明治時代に行われた廃藩置県(1871年)から新たに設けられた行政区分です。

それでは、廃藩置県が行われるまでは日本の土地はどのように呼ばれていたのでしょうか?

旧国名(行政区分)

廃藩置県がおこなわれる以前の日本では武蔵国、蝦夷、和泉国、河内国と呼ばれており現在の47都道府県より多い68カ国(蝦夷、琉球を含めると70カ国)に分けられていました。

目次

行政区分が作られたのは飛鳥時代に大陸(現在の中国)から律令制度を導入したことから始まります。導入された律令制度は大化の改新によって整備せれました。つまり、行政区分は大化の改新がおこった奈良時代から始まったことになります。

※律令制度を簡単に説明すると天皇を中心とした中央集権体制のことです。

ただし、天皇や貴族だけでは日本国土全域まで管理することは困難でした。そこで、日本を分割することにしたのです。分割した土地を大きい順にと分類しました。

分類した土地に役人を派遣します。その役人のことを国司、郡司と呼びます。

律令制度下の区分

  • 国(くに):中央政府から派遣された国司が治める。
  • 郡(こおり)/郷(さと):郡司・里長が任命され、地域の管理と徴税を担当。
  • 里(り):最小単位で、戸籍管理や税徴収の基礎単位。

なんと奈良時代に制定された行政区分は平安時代に越前国から加賀国が分離されるまで変わることはありませんでした!そして、その後は廃藩置県がおこなわれるまでの約1200年間はずっと使われてきたのです。

ただ、行政区分は変わらずとも国の制度は変わります。奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代(戦国時代含む)そして、江戸時代と1200年以上の間に国の統治者は天皇、貴族、上皇、武士と変わっていきます。

時代に適合したルールで国の運営をしていたといえます。

期間説明
奈良時代(7世紀後半)律令制の整備に伴い、行政区画として制定。
平安時代~江戸時代(701年~1871年)律令制の枠組みの中で引き続き使用。
明治時代初期(1871年)廃藩置県により、公式な行政区画としての役割を終える。
明治時代以降地理的・歴史的な呼称として存続。

国の中枢をまとめる権力者が天皇、貴族、上皇、武士と変わっていくと地方にも影響がでました。

  • 古代(飛鳥時代〜奈良時代)                                                               
    • この時期、日本は中央集権的な律令制度のもとで統治されていました。地方の権力者は「国司」と呼ばれ、中央政府から任命された官僚でした。国司は地方の行政、徴収、治安維持を担当しました。
  • 中世(平安時代〜鎌倉時代)
    • 平安時代後期には、武士が台頭し、地方の実質的な権力者となる「荘園領主」が登場しました。鎌倉時代に入ると、幕府が成立し、将軍が地方に守護・地頭を配置して支配する体制が確立されました。
  • 戦国時代(15世紀〜16世紀)
    • 中央の権力が弱体化すると、各地で戦国大名が独立的な支配を行うようになりました。戦国大名は軍事力と経済力を背景に領土を拡大し、城下町を発展させました。
  • 近世(江戸時代)
    • 徳川幕府が成立すると、全国は「藩」に分けられ、大名がそれぞれの藩を治める体制となりました。大名は幕府に忠誠を誓う代わりに、藩内での自治が認められていました。この時代、幕府と藩の二重構造による支配が特徴です。
  • 近代(明治時代以降)
    • 明治維新により藩が廃止され、中央集権的な「県制」が導入されました。地方の権力者は中央政府から派遣される「県知事」へと移行し、現在に至る地方自治制度の基盤が築かれました。
時代地方の支配者特徴
古代(飛鳥時代〜奈良時代)国司中央集権的な律令制度の下、中央政府から任命された官僚。
中世(平安時代〜鎌倉時代)荘園領主・守護・地頭武士の台頭。荘園領主は地方の支配者となったが派遣された守護・地頭により次第に影響力が下がる
戦国時代(15世紀〜16世紀)戦国大名中央権力の衰退により、戦国大名が独立した勢力圏を形成。
近世(江戸時代)大名徳川幕府の下、全国が藩に分割され、大名が統治。
近代(明治時代以降)県知事明治維新により藩が廃止され、県制が導入。

このように、日本の地方の権力者は、中央集権と地方分権のバランスの中でその形態を変えてきました。

地方の管理者は名称に変更があるものの仕事内容は地方行政、税の徴収、治安維持にわけられます。
中央政治に大きく影響を受け重きは変化するものの役割に変化はありません。

これは、現代においても同じことです。政治の中心である東京だけが豊かになっても国は破綻します。地方が豊かになれば中央も栄、国に繁栄がもたらされるのです。

いつの時代も地方を蔑ろにした時代は反乱や税の徴収がうまくいかず国家運営に大きな影響がでています。少子化や貧富の差、移民問題と課題が浮き彫りになった現代の日本はどのように国家運営、地方行政をしていくのでしょうか?

我々が生きている現在も時が進めば過去になります。未来の人が今の日本を振り返った時に正しい選択をしたと思ってもらえるように努力しなければなりません。

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