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第15代 応神天皇

応神天皇

在位期間:270年〜310年(40年)

仲哀天皇と神功皇后の皇子。オシクマの謀反により血と死で穢れてしまい神功皇后の重臣であるタケウチノスクネと旅をした。諡号はホムダワケ。旅を終えて応神天皇として即位した。

記紀の記述が詳細で実在した可能性の高い天皇とされる一方で没年時130歳と超高齢なことや父の仲哀天皇も実在性が乏しいため実在性が高い反面、謎の多い天皇であった。

応神天皇の治世では朝鮮半島や大陸との交流を盛んに行い文化や技術が向上した時代であった。

中国の歴史書『宋書』に記述のある倭の五王の一人の可能性もあるが詳細は不明。

古事記のエピソードでは26人いた皇子の中から三人の皇子を次期天皇候補に絞った。そしてその中から一番末っ子を次期天皇に選ぶというものがある。
もちろん末っ子を邪魔に思う兄がおり皇位継承問題が起こるのであった。

目次

三皇子の分掌

応神天皇には26人の皇子がいた。自分の死期を悟ると次期天皇を三人に絞った。
三人の皇子は長男のオオヤマモリ、次男のオオサザキ、末っ子のウヂノワキイラツコであった。

応神天皇は末っ子のウヂノワキイラツコを溺愛しており皇位を譲ろうと考えておりある日、応神天皇はオオヤマモリとオオサザキを呼び出した。

そして二人に「年上の子と年下の子ではどちらが可愛いと思う?」と尋ねる。

長男のオオヤマモリは次期天皇は自分だと「年上の子」と答え、オオサザキは天皇は末っ子のウヂノワキを次期天皇にしようとしていると察し「年下の子」と答える。

二人の考えを聞いた応神天皇は詔を下す「次期天皇はウヂノワキとしオオサザキは天下の政務を執って天皇を補佐を命じる。そして、オオヤマモリは山と海の政を治めることを命じる。」

この決定にオオヤマモリは不満を抱くことになる。

オオヤマモリの謀反

次期天皇をウヂノワキに選んだ応神天皇は130歳で崩御。次期天皇は応神天皇の詔の通りに末っ子のウヂノワキが継ぐことになる。

しかし、オオヤマモリは次期天皇の座を諦められずにいた。応神天皇亡き後ついに行動に移すことになる。

オオヤマモリの謀反を知ったオオサザキは謀反の知らせをウヂノワキに伝えた。
そして、オオヤマモリ討伐の作戦をウヂノワキに提案する。

オオサザキの作戦

まず、山頂に仮宮を造営し見えやすいところに豪華な椅子を飾り立てる。
そして、そこには影武者を立たせウヂノワキ自身は舟の舵取りに変装してオオヤマモリを待つ。

川辺には伏兵を置き、船は滑りやすいように細工を施しなさい。

ウヂノワキはオオサザキ作戦通りに舵取りに化けオオヤマモリが来るのを待った。

オオヤマモリはオオサザキの作戦通りに動くのであった。まず、豪華に飾られた椅子に座る影武者を見て苛立たせ冷静な判断を奪う。

苛立ち冷静な判断能力を奪われたオオヤマモリは舵取りが変装したウヂノワキであることに気付けず準備された舟に乗り込んでしまう。

そして、オオヤマモリは舟の上でウヂノワキニ「今からあの山にいる荒々しい大猪を狩に行く。俺はその猪を狩れると思うか」と問いかけた。

その問いを聞いたウヂノワキは「それは、叶うことのない願いです」と変装を解きオオヤマモリを舟の上から突き落とす。

舟はオオサザキの作戦で滑りやすく細工されておりオオヤマモリは川へ落とされ川辺に潜ませていた伏兵により矢で撃たれ死んでまう。

オオサザキの作戦は見事成功しオオヤマモリの謀反は失敗に終わったのであった。

皇位の譲り合い

オオヤマモリの死により皇位を狙うものはいなくなり応神天皇の詔のとおりウジノワキが継ぐことになる。

しかし、ウヂノワキは実の兄であるオオヤマモリを手にかけたことを気に病んでいた。

そして、兄オオサザキこそ次期天皇に相応しいと皇位を譲ると言い出す。

オオサザキは応神天皇の意思を尊重しウヂノワキノ提案を拒否する。二人は皇位を譲り合っていたがウヂノワキが心労で倒れてしまいそのまま亡くなってしまう。

こうして次期天皇はにオオサザキ継ぐことになり第16代仁徳天皇として即位するのであった。

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