古事記では唯一”聖帝”と表現された仁徳天皇で和風諡号はオオサザキです。
応神天皇の皇位継承問題の末に仁徳天皇となったオオサザキ。時代は弥生時代から進み古墳時代に突入です。
在位期間:313年〜399年
15代応神天皇は次期天皇は末っ子のウジノワキと詔を残していたがウジノワキはオオサザキこそ天皇に相応しいと皇位を譲ろうとした。
しかし、オオサザキも次期天皇は先帝の詔を尊重し辞退する。そうして、3年もの間天皇は空位となっていた。結局ウジノワキが早逝したことによりオオサザキが仁徳天皇として即位することになった。
そうして、仁徳天皇は名に恥じない善政を敷くことにより古事記唯一の聖帝として名を残す名君となるのであった。
民を思い税の徴収を止めた聖帝
仁徳天皇は王宮を難波高津にこしらえた。王宮は民の生活を第一に考え質素な造りで飾り付けも行わなかったと言われている。
仁徳天皇は即位してすぐから国民のことを考える明君であった。おそらく民も仁徳天皇を敬っていたに違いない。
そんな、仁徳天皇が即位して4年経った頃のことである。天皇が高台に登り国を見渡してみる。
すると天皇は民家から煙が上がっていないことに気づく
「まさか、民は炊き煮をする余裕もないのではないか!?」そんなことは許せぬ。もっと国を豊かにせねばと仁徳天皇は考えた。
仁徳天皇はまず、税の徴収を止めることを決める。
「民の暮らしが豊かになるまで税の徴収は止める。皆にも貧しい思いをさせるが耐えてくれ」と臣下にも告げたに違いない。おそらく、民思いの君主に臣下達も賛同したことだろう。
そして、3年間の税を止めた。税を止めたことにより王宮は荒廃し、雨漏りもしていたとの記述があるほどであった。これほど民を思う天皇も珍しいと思う。
王宮が荒廃するほど財政は逼迫していたのだろう。しかし、今だ町からの煙は上がらなかった。
すると、天皇はさらに3年間も税の徴収を止めることを決めた。
さすがに臣下達にも反対したものはいたに違いない。一国の君主の城が雨漏りしているなど前代未聞なことである。大切な主人に不憫な思いをさせることを是非としない臣下の気持ちも察することができる。
しかし、3年過ぎ合計6年間もの無課税のおかげもあり、町からは煙が上るようになった。
生活が豊かになり暖かいご飯が食べられるようになった国民は仁徳天皇に感激し『聖帝』と呼び敬うことになった。
さらに、国民達も天皇の王宮の現状を知るや否や自ら進んで修繕をおこなったのである。
聖帝の土木工事
民の生活にゆとりができたことを知ると仁徳天皇は土木工事を開始する。
目的は農地の拡大と治水事業である。そもそも、不作にならなければ国民は飢えることはないのである。
田畑を増やし、水害や干害の被害を抑えることができれば安定した生活を民に与えることができる。仁徳天皇のすごいと思うところはあくまで国民ファーストなところであろう。
もし、民が飢えている時に土木工事をしていたら作業もはかどらず不満もたまり国は余計に荒廃していたとしてもおかしくはない。
民が貧困していると知った天皇が初めに税の徴収を止めたことは国民の心をまとめることに成功したはずである。
天皇の土木事業は国、民一体となり大成功。仁徳天皇の治世はさらに豊かになったのである。
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