護良親王から流刑の知らせを受けた後醍醐天皇は身代わりを延暦寺に送り奈良へ向かいました。
後醍醐天皇は奈良に着くと東大寺周辺で御所となる場所を探しますが奈良の僧兵は幕府を恐れており後醍醐天皇に味方する者はいませんでした。
奈良の僧兵が味方になってくれず困った後醍醐天皇は鷲峰山へ向かいます。
鷲峰山に到着した後醍醐天皇でしたが今度は人里から離れすぎており御所にはできませんでした。
そこで、後醍醐天皇は笠置山に御所を構えることにしました。
笠置山の山頂には笠置寺というお寺があり、古くから山岳信仰や修行の場として知られていました。
修行の場ということもあり笠置山の地形は険しく天然の要塞として機能しました。
一方、六波羅探題は幕府に反旗を翻した後醍醐天皇を探していました。
そして、後醍醐天皇は笠置山に隠れているということを知ります。
そこで、六波羅軍は平等院へ兵を進め笠置山を攻める準備をしていました。
平等院で笠置山攻めの準備を整えていると高橋又四郎という兵が抜け駆けして手柄を立てようと笠置山にいる後醍醐天皇に戦いを挑みます。
しかし、高橋又四郎は笠置山にいる後醍醐天皇に大敗し平等院へ戻るのでした。
高橋又四郎の敗北で周辺の武士に六波羅軍が後醍醐天皇の軍に負けていると思われたらやっかいです。
唐崎の浜の戦いでも敗北してた六波羅軍にとってこれ以上の敗北は、中立の立場だった勢力が後醍醐天皇に味方するのではないかと考えました。
戦況が不利になる前に後醍醐天皇を捕える必要があるため六波羅軍は急ぎ準備を整え笠置山へ攻めることを決めました。
六波羅軍は笠置山を包囲しました。しかし、笠置山は守りが硬く簡単には落ちませんでした。
何日にもわたり笠置山を攻める六波羅軍でしたが損害が増えるばかりでした。
六波羅軍が笠置山の後醍醐天野に手こずっている時に楠木正成が赤坂城で挙兵します。
後醍醐天皇に加え楠木正成も相手にしないといけなくなった六波羅軍は鎌倉へ増援を要請します。
六波羅探題からの援軍要請に鎌倉幕府は足利尊氏を含んだ大軍を京都へ送ります。
鎌倉から大勢の援軍が来るという知らせに笠置山で戦いっていた兵は鎌倉の兵に手柄を取られると焦ります。
笠置山を攻めていた六波羅軍の中に陶山義高と小見山次郎という人物がいました。
二人は鎌倉の兵が到着する前に笠置山を落とし手柄を立てようと計画します。
二人は雨風の強い夜に険しい山道を進み笠置山に侵入しました。
侵入に成功した二人は後醍醐天皇の兵になりすまし後醍醐天皇のいる建物まで近づくことに成功します。
二人は建物周辺に火を放ちます。火の手が上がったことにより後醍醐天皇の兵はとうとう六波羅軍が攻めてきたと慌てます。
後醍醐天皇の兵が統率を見出しているとみた六波羅軍は一気に笠置山を攻略しました。
笠置山の戦いに敗れた後醍醐天皇は平等院へと送られ幽閉されてしまうのです。
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