元弘の変の時に後醍醐天皇の配下になった楠木正成は1331年に赤坂城で挙兵しました。
赤坂城の戦いでは幕府軍に敗れてしまいましたが、死体を焼き焼身自殺をしたと思わせ姿を隠しました。
そして、約1年後の1332年4月に楠木正成が挙兵し赤坂城を奪還するのです。
この頃の、赤坂城には、幕府から地頭を任されていた湯浅宗藤という武士が住んでいました。
湯浅宗藤は楠木正成が赤坂城を狙っていると知ると戦の準備のため兵糧の準備をしていました。
楠木正成は兵糧が城に運び込まれる前に兵糧を奪い取ります。そして、奪い取った兵糧の中に武器を隠し自分の配下に赤坂城に運ばせます。
さらに、楠木正成は兵糧を運ばせている自分の部下と兵糧を奪い取ろうとする自分の部下で戦いを演じさせます。
この様子を見た湯浅宗藤は「兵糧が奪われる」と急ぎ兵を出し襲っている部隊を追い払いました。
そして、楠木正成の部下が運んでいる兵糧と兵を城の中に入れてしまうのです。
中に入った楠木正成の兵は武器を取り出し暴れ出します。城の外と中から楠木軍に攻められた湯浅宗藤は一度も戦うことなく降参し楠木正成の軍門に下りました。
こうして、楠木正成は赤坂城の奪還に成功しました。
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