崇徳上皇(すとくじょうこう)は、
平安時代の後半に生きた元天皇です。
日本史でよく知られているのが、
保元の乱にやぶれて、都から遠くはなれた島へ流された人物
ということ。
のちには
「日本三大怨霊」の一人としても語られ、
とても印象に残る存在です。
このページでは、
崇徳上皇の生涯と、その悲しい運命を、
初心者の方にもわかりやすく紹介します。
年表|崇徳上皇の生涯をかんたんに
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1119年 | 誕生 |
| 1123年 | 即位し、崇徳天皇となる |
| 1142年 | 位をゆずり、上皇となる |
| 1156年 | 保元の乱が起こる |
| 1156年 | 敗れて讃岐国へ流される |
| 1164年 | 流された先で死去 |
崇徳上皇の特徴
とてもまじめで努力家
崇徳上皇は、
子どものころから
学問や和歌に一生けんめい取り組んだ人でした。
天皇を退いたあとも、
政治や文化への関心を失わず、
まじめに生きた人物です。
強い誇りをもった上皇
自分が正しいと思ったことは、
最後まで貫こうとする
強い意志をもった人でもありました。
しかしその性格が、
時代の流れと合わず、
苦しい立場に追いこまれてしまいます。
とても不運な人生
争いの中で敗れ、
遠い島へ流される――
天皇としては、とてもつらい運命をたどりました。
エピソード|なぜ流されることになったの?
保元の乱のはじまり
1156年、
皇族や貴族のあいだで、
大きな争いが起こります。
それが、
保元の乱です。
崇徳上皇は、
自分を支持する人たちとともに立ち上がりましたが、
後白河天皇側の軍に敗れてしまいました。
島流しというきびしい処分
敗れた崇徳上皇は、
讃岐国(今の香川県)へ
流されることになります。
都から遠くはなれた土地で、
一人きりのような生活を送りました。
日本に与えた影響
保元の乱が武士の時代を近づけた
崇徳上皇が敗れた保元の乱は、
源氏や平氏が大きく活躍した戦いです。
この戦いをきっかけに、
武士が政治の中心へ近づく時代が始まりました。
「怨霊」のイメージが生まれた
流されたあと、
強い怒りや悲しみをかかえたまま亡くなったため、
のちに
たたりを起こす怨霊として恐れられるようになります。
これが、
日本の文化における
「怨霊信仰」の代表的な例になりました。
和歌文化に名を残した
崇徳上皇は、
和歌の才能にもすぐれ、
『新古今和歌集』にも作品がえらばれています。
政治では不運でしたが、
文化の世界では今も評価される人物です。
まとめ|崇徳上皇は「運命に翻弄された悲劇の上皇」
崇徳上皇は、
悪いことをした人ではありません。
けれど、
時代の流れと争いの中で、
とてもつらい運命をたどった人です。
その人生は、
権力の世界のきびしさと、
人の心の弱さを、
今に伝えてくれます。
勝った人だけが、
歴史をつくるわけじゃない。
負けた人の人生にも、
学ぶことはある。
崇徳上皇は、それを教えてくれます。

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