嵯峨天皇(さがてんのう)は、
平安時代のはじめに活躍した天皇です。
日本史でよく知られているのが、
文化を大切にしながら、政治も安定させた天皇
ということ。
書や詩がとても上手で、
同時に国のしくみも整えた、
バランスのとれたリーダーでした。
このページでは、
嵯峨天皇の生涯と功績を、
初心者の方にもわかりやすく紹介します。
年表|嵯峨天皇の生涯をかんたんに
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 786年 | 誕生 |
| 809年 | 即位し、嵯峨天皇となる |
| 810年 | 薬子の変が起こる |
| 818年 | いくつかの税を軽くする政治を行う |
| 823年 | 位を弟にゆずり、上皇となる |
| 842年 | 死去 |
嵯峨天皇の特徴
文化をとても大切にした天皇
嵯峨天皇は、
書や詩がとても上手で、
文化人としても有名な天皇でした。
宮廷では、
文学や芸術がさかんになり、
平安文化の土台がつくられていきます。
落ちついた政治を行った
戦いや争いではなく、
話し合いと制度で国を治める
という姿勢を大切にしました。
そのおかげで、
嵯峨天皇の時代は、
比較的安定した政治が続きました。
人をよく見て任せるリーダー
空海を重く用い、
東寺をまかせるなど、
人の力を生かすのが上手な天皇でもありました。
エピソード|薬子の変と嵯峨天皇
即位直後の大きな試練
嵯峨天皇が即位したすぐあと、
兄・平城上皇が復権をねらい、
薬子の変という事件が起こります。
国がふたつに分かれそうになる、
とても危険な出来事でした。
戦わずに国を守った
嵯峨天皇は、
大きな戦いにせず、
話し合いと決断でこの危機をおさえました。
そのおかげで、
平安京と朝廷の安定は守られました。
日本に与えた影響
平安文化の土台をつくった
嵯峨天皇の時代に、
漢詩や書が広まり、
宮廷文化が大きく花ひらきました。
これがのちの
国風文化へとつながっていきます。
政治のしくみを安定させた
争いをおさえ、
天皇中心の政治を守ったことで、
平安時代の安定したスタートを支えました。
空海を支え、日本の仏教を広げた
嵯峨天皇は、
空海の才能を認め、
東寺をあたえて活動を助けました。
これによって、
真言宗が広まり、
日本の仏教文化が豊かになりました。
まとめ|嵯峨天皇は「文化と政治のバランスをとった天皇」
嵯峨天皇は、
強い力で国を動かした天皇ではありません。
文化を育て、
争いをおさえ、
人の力を生かした天皇です。
そのおだやかな政治が、
平安時代の安定と、
美しい文化の広がりにつながりました。
強さには、
声を荒げない強さもある。
嵯峨天皇の生き方は、
それを教えてくれます

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