藤原基経(ふじわらのもとつね)は、
平安時代のはじめから中ごろにかけて活躍した貴族です。
日本史でとても大切なのが、
天皇を助ける「関白」という役職を初めて名のった人物
ということ。
おじの藤原良房が「摂政」のはじまりをつくり、
基経はそこからさらに一歩進めて、
摂関政治を完成させた人ともいわれます。
このページでは、
藤原基経の生涯と功績を、
初心者の方にもわかりやすく紹介します。
年表|藤原基経の生涯をかんたんに
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 836年 | 誕生 |
| 858年 | おじ・藤原良房が摂政になる |
| 872年 | 良房の死後、藤原氏の中心人物となる |
| 880年 | 関白として政治を動かし始める |
| 884年 | 陽成天皇を退位させ、光孝天皇を立てる |
| 891年 | 死去 |
藤原基経の特徴
「関白」という新しい役目をつくった
藤原基経は、
子どもの天皇を助ける「摂政」だけでなく、
**大人の天皇を助ける「関白」**という立場をはっきりさせました。
これによって、
藤原氏がいつでも政治の中心に立てる仕組みが整います。
冷静で現実的な政治家
基経は、
感情に流されず、
その時その時で一番よい方法を考える人でした。
そのため、
混乱しがちな宮中でも、
安定した政治を行うことができました。
一族の立場を第一に考えた
藤原基経は、
藤原氏が長く力を持ち続けられるように、
仕組みづくりを何より大切にした人物です。
エピソード|なぜ天皇を退位させたの?
陽成天皇の問題
陽成天皇は、
気性が荒く、
まわりの人を困らせる行動が多かったといわれています。
国の政治がうまく進まなくなり、
朝廷には不安が広がっていました。
国の安定をえらんだ決断
そこで藤原基経は、
大きな決断をします。
それが、
陽成天皇を退位させ、新しい天皇を立てることでした。
これはとても勇気のいる行動でしたが、
結果として、
朝廷の混乱はおさまりました。
日本に与えた影響
摂関政治を完成させた
藤原基経によって、
摂政・関白が天皇を助け、
実際の政治を動かす体制が完成します。
このしくみは、
藤原道長や頼通の時代まで続きました。
天皇と貴族の役割をはっきりさせた
基経の政治によって、
天皇は「国の象徴」、
摂政・関白は「政治の中心」という
役割分担がはっきりしました。
平安時代の安定につながった
争いが起こりにくい政治の形が整ったことで、
平安時代は、
長い安定の時代に入っていきます。
まとめ|藤原基経は「関白政治の道をつくった人」
藤原基経は、
目立つ戦いをした英雄ではありません。
けれど、
政治のしくみを整え、国を安定させた人です。
おじの藤原良房が開いた道を、
しっかりと形にした――
それが藤原基経という人物でした。
強さは、
剣だけじゃない。
仕組みをつくる力も、
国を支える。
藤原基経は、それを示した人です。

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