MENU
記事を探す

第12代 景行天皇

オオタラシヒコこと景行天皇は御子のオウス(後のヤマトタケル)に西の熊襲と東の蝦夷の討伐を命じたことが有名である。

景行天皇

在位期間:71年〜130年(59年)

九州へ遠征したり、諸国に直轄領である屯倉みやけを設置したと伝えられている。

没した時は106歳と長寿な天皇である。

景行天皇は数多くの妻を娶り生涯を通じて八十人もの子をなしたと言われている。

その中でも有名な皇子が第三皇子であるオウス。

オウスは後にヤマトタケルと名乗るようになり記紀でも有名な人物である。

しかし、景行天皇とヤマトタケルは不仲というか一方的景行天皇が遠ざけていた節がエピソードから読み解くことができる。

目次

オウスを恐れた景行天皇

景行天皇には二人の皇子がいた。兄はオオウス、弟はオウスという。

あるとき、景行天皇は美しいと噂の二人の美女がいると聞き自分の妻にしようとする。
そこで、景行天皇は皇子のオオウスに噂の二人の美女を連れてくるように命じる。

オオウスは父の命令に従い二人を迎えに行ったのだがあまりの美しさに自分の妻にしてしまう。

オオウスは父である景行天皇の命令を破り二人を自分の妻にしたことを気に病んで景行天皇の前に顔を見せなくなる。

景行天皇は顔を見せなくなったオオウスを心配しオウスに「ねぎ諭してくれないか」と命じるのだがこの『ねぎ』という言葉が悲劇のはじまりだった。

ねぎというのは「ねぎらう」といういみと「かわいがる」という二つの意味があった。
かわいがるは現代でも使われることがある、例えばヤンキーが「かわいがってやる」というふうにしごいてやるという意味にもとらえられる。

景行天皇はねぎらって連れてこいとオウスに伝えたつもりだったがオウスははねぎをしごいてやれととらえてしまったのである。

景行天皇はオウスに連れてこいと命じたのになかなか顔を見せないオオウスを気にしてどうなっているのかとオウスに問いかける。

するとねぎを過激にとらえてしまったオウスは兄の手足を引きちぎり植物で作った敷物にくるんで捨てたと話したのである。

景行天皇はオウスの暴力的な性質に恐れを抱いて自分から遠ざけようとするのである。

ただ、自分の命令にしたがったオウスを罰したり追放したりはできないため九州にいる蛮族『熊襲』の首長クマソタケル兄弟の追討を命じ自分から遠ざけようとした。

父に頼りにされていると思いオウスは意気揚々と出発する。その途中に叔母であるヤマトヒメのもとへより着物を授かった。

熊襲の支配地域に入るとその着物を着て乙女になりす。着物を着て乙女に扮したオウスを屋敷の宴に招待した熊襲タケル兄弟が油断したところを懐剣で打ち倒す。その際弟の熊襲タケルが「自分の名前のタケル」の名を授ける。その後、オウスはヤマトタケルと名乗るようになる。

ヤマトタケルの東征

ヤマトタケルは九州の熊襲討伐に成功し意気揚々と帰国した。

しかし、帰国したヤマトタケルを待っていたのは喜ぶ父の顔ではなかった。景行天皇は九州討伐を終えて大和に戻ったヤマトタケルに東国の平定を命じる。

さすがに、父に疎まれていることを悟ったヤマトタケルは出発前に叔母のヤマトノヒメに胸中を明かす。

ヤマトヒメは落ち込んでいるヤマトタケルに草薙剣と袋を授け慰めた。ヤマトタケルの唯一の安寧は叔母のヤマトノヒメだったのかもしれない。

ヤマトヒメに慰められ東国へ遠征に行くヤマトタケルは途中の尾張でミヤズヒメと恋に落ち婚約する。

そして、蝦夷討伐では相模国で国造の罠に嵌められ野原で焼き討ちに合う。この危機はヤマトヒメから授けられた草薙剣で草を薙ぎ払い袋に入った火打石で向火をつけて炎を跳ね返す。

走水(浦賀水通)の海では嵐で船が沈みそうになる絶対絶命の危機を妻(このエピソードで初めて妻がいたことが判明する)であるオトタチバナヒメが生贄となって入水することで嵐は収まり、船は対岸の房総半島に辿り着く。

その後ヤマトタケルはさらに東国へ進み、蝦夷らを討伐する。

英雄となったヤマトタケルの死

九州の熊襲と東国の蝦夷討伐の功績から英雄として名を馳せたヤマトタケル。

ヤマトタケルは東国を平定すると婚約していた尾張のミヤズヒメと結婚する。

そして、この旅の最後の戦い伊吹山の神を討つためへ出発する。

その際、ヤマトタケルは「素手でも倒せると』慢心しておりミヤズヒメの元へ草薙剣を置いてきてしまう。ミヤズヒメは剣をおいていくと言うヤマトタケルの言葉に嫌な予感がし剣は持っていってくださいとお願いするが聞き入れられなかった。

伊吹山に到着したヤマトタケルは山中で白い猪と遭遇する。ヤマトタケルは白い猪は神の使いであると思い込み白い猪を放っておくが実は白い猪こそが伊吹山の神だった。

侮られたと怒った神に礫のような雹を打ち付けられ大怪我をする。

ヤマトタケルは伊吹山から撤退し、故郷の大和へ帰ろうとするが傷が悪化し能煩野(三重)で力尽きる。

ヤマトタケルの死を聞きつけた妻と皇子が駆けつけて嘆き悲しんでいると一羽の白鳥が天高く飛び去っていく。

その白鳥はヤマトタケルの魂が姿を変えたものだったとされた白鳥が降り立ったところに御陵がつくられた。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次