はじめに|「景気が悪い」ではなく「この先が怖い」になった年
1997年の秋、日本の空気は変わりました。
景気が悪いのは90年代を通じて続いていましたが、1997年は “金融が揺れて、社会全体が不安に飲まれた”年です。
きっかけは、11月に起きた連続破綻。
証券会社、都市銀行、そして“四大証券”の一角が、週替わりで倒れていく――この展開が「不景気の空気」を決定的にしました。
1997年の金融不安とは何か
1997年の「金融不安」は、ひとことで言うと “お金そのものが足りない”のではなく、信用が壊れてお金が回らなくなる現象 です。
- 金融機関同士が「相手が倒れるかもしれない」と疑いはじめる
- 短期資金(翌日返すお金)すら貸しにくくなる
- 企業や個人への融資も慎重になり、景気がさらに冷える(信用収縮)
この“信用の揺れ”が、家計や企業の心理を直撃しました。
何が起きた?|11月の連続破綻(流れが一気に加速)
1997年11月は、衝撃が連鎖した月でした。
1997年の主な出来事(超ざっくり年表)
| 時期 | 出来事 | 何がショックだった? |
|---|---|---|
| 1997/11/3 | 三洋証券が会社更生法申請(実質破綻) | インターバンク(金融機関同士)市場で債務不履行が起き、市場が凍るきっかけに |
| 1997/11(中旬) | 北海道拓殖銀行が破綻 | 「都市銀行でも倒れる」現実が見えた |
| 1997/11/24 | 山一證券が自主廃業を決議 | 名門・大手が崩れ、「信用神話」が折れた |
特に三洋証券の一件は、“金融機関同士の市場でデフォルトが起きた”という点で象徴的でした。
ここで 「信用で回っていた場所が止まった」 ため、疑心暗鬼が一気に広がります。
なぜ「不景気の空気」が決定的になったのか
ポイントは、ただ倒産が出たからではありません。倒れ方と順番が最悪 だったことが大きいです。
1) 「信用で回る世界」で“信用が割れた”
金融は、究極的には信用で回っています。
その信用の中枢(インターバンク市場)で混乱が起きたことで、「明日どうなるかわからない」が現実味を帯びました。
結果として、
- 企業への融資が締まる(貸し渋り・貸しはがし)
- 資金繰りが悪化し、倒産やリストラ懸念が増える
…という“景気を冷やす連鎖”が加速します。
2) 「大手も安全ではない」が可視化された
中小の倒産ではなく、都市銀行と大手証券が続けて崩れた。
これが「自分の勤め先も、取引先も、明日はわからない」という感覚に直結します。
3) 海外の危機が追い打ちをかけた(アジア通貨危機)
1997年はアジア通貨危機が広がった年でもあり、日本の金融不安の心理面に追い打ちをかけました。
「国内だけの問題では済まない」という不安は、投資家・企業・家計の判断を一段と慎重にします。
4) 「ジャパンプレミアム」が“不安の値段”として見える化した
市場が日本の銀行を警戒すると、日本の銀行は海外で資金調達しにくくなり、上乗せ金利(プレミアム)がつく。
こうした現象は “不安が金利として見える” ため、恐怖を増幅させます。
暮らしにどう影響した?|「節約」が合理的になる社会へ
金融不安は、ニュースの中の出来事では終わりません。体感としてはこう変わります。
- 会社:資金繰りに慎重 → 設備投資を止める/採用を絞る
- 個人:「この先が怖い」→ 大きな買い物を先送り(消費が弱くなる)
- 地域・中小:銀行が慎重になるほど、体力のない所から苦しくなる
この結果、景気の悪さは “数字”よりも先に“空気”として広がる。
1997年は、その空気が一線を越えた年でした。
まとめ|1997年は「不況の原因」ではなく「不況が固定化する瞬間」だった
1997年の金融不安が決定的だった理由は、連続破綻が「信用」を壊し、信用収縮が景気を冷やし、さらに心理を悪化させる――という循環が現実になったからです。
- 三洋証券の破綻は、市場の“信用の土台”を揺らした
- 北海道拓殖銀行・山一證券の連鎖が「大手も崩れる」を確定させた
- 不安が家計と企業の行動を変え、「不景気の空気」が社会に定着した
参考文献・参考資料
- 日本銀行「山一證券への資金融通のための富士銀行に対する貸出措置に関する件(議決日1997年11月24日)」
- 内閣府 経済社会総合研究所(ESRI)資料(日本の金融危機と金融行政)
- Bank of Japan 関連研究(1997年の市場混乱・三洋証券の事例)
- FRBSF Economic Letter “The Return of the Japan Premium”
- ダイヤモンド・オンライン(1997年11月の連続破綻の概説)

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