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明応の政変とは?将軍すげ替えが戦国時代の始まりを示した理由をわかりやすく解説

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応仁の乱おうにんのらんが終われば、世の中は落ち着くはずだった」――そう思われていた矢先に起きたのが、明応の政変めいおうのせいへん(1493年)です。

この政変は、単なる将軍の交代劇ではありません。将軍を支えるはずの有力者が、将軍そのものをすげ替えてしまった事件でした。表と年表を中心に、流れを一気に押さえていきましょう。


目次

この記事でわかること

  • 明応の政変めいおうのせいへんは、1493年に起きた室町幕府内部の政変であること
  • 細川政元ほそかわまさもとが将軍・足利義材あしかがよしきを追放し、足利義澄あしかがよしずみを擁立したこと
  • 将軍を支えるはずの有力者が将軍をすげ替えた、異例の事件であること
  • 室町幕府の将軍権威が大きく揺らいだことを示していること
  • 応仁の乱おうにんのらん後の混乱から、戦国時代へ進む流れを理解するうえで重要であること

基本情報表

項目内容
いつ1493年(明応2年)
どこで京都
誰が管領かんれい細川政元ほそかわまさもと
何をしたか将軍・足利義材あしかがよしき義稙よしたね)を追放し、足利義澄あしかがよしずみを新たな将軍に擁立
結果将軍の権威が大きく低下し、戦国時代への転換点の一つとなった

なぜ起きたのか

応仁の乱おうにんのらんのあとも幕府の混乱は収まらず、いくつもの要因が重なって政変につながりました。

要因内容
応仁の乱おうにんのらん後の余波応仁の乱おうにんのらん(1467〜1477年)が終わっても幕府の権威は回復せず、管領かんれい家や有力守護の力が強まっていた
畠山氏の家督争い幕府内で畠山氏の後継をめぐる争いが長く続いていた
将軍・義材よしき河内かわち出陣義材よしき畠山政長はたけやままさながを支援するため、みずから軍を率いて河内かわちへ出陣した
細川政元ほそかわまさもとの反発将軍の独断的な軍事行動に政元が強く反発し、京都を留守にした隙に政変を起こした

誰と誰が対立したのか

政変の中心となった人物と、その立場を整理すると次のとおりです。

人物立場政変での動き
足利義材あしかがよしき義稙よしたね室町幕府 第10代将軍河内かわち出陣中に将軍の座を追われる。のちに第12代将軍として復帰
細川政元ほそかわまさもと管領かんれい政変を主導した中心人物。強い権勢から「半将軍」とも呼ばれた
足利義澄あしかがよしずみ新将軍(第11代)政元により擁立されるが、政元の後ろ盾なしでは実権を持ちにくい立場
畠山政長はたけやままさなが有力大名(畠山氏当主)義材よしきが支援した相手。畠山氏内部の家督争いが政変のきっかけの一つ
日野富子ひのとみこ前将軍・足利義政あしかがよしまさの正室幕府内部の政治にたびたび関与したと伝わる人物

将軍・管領かんれい家・畠山氏それぞれの立場を分けて見ると、誰が誰を追い落としたのかという対立の構図が見えてきます。


ひと目でわかる流れ

  1. 応仁の乱おうにんのらんが終わったあとも、幕府内部の混乱は収まらない
  2. 畠山氏の家督争いが続き、将軍・義材よしき畠山政長はたけやままさながを支援する
  3. 将軍・義材よしきが、細川政元ほそかわまさもとの意向に反して河内かわちへ出陣する
  4. その隙を突いて、細川政元ほそかわまさもとが京都で政変を起こす
  5. 将軍・義材よしきは将軍の座を追われ、政元の意向で足利義澄あしかがよしずみが新将軍に擁立される
  6. 幕府内で、将軍よりも管領かんれいの意向が強く働く構造が明らかになる

何が変わったのか

視点変化の内容
将軍の地位足利義材あしかがよしきが追放され足利義澄あしかがよしずみが擁立された。のちに将軍家が義稙よしたね系・義澄系の二系統に分かれて対立する状態が長く続いた
幕府の力関係管領かんれい細川政元ほそかわまさもとの権勢がさらに強まり、将軍より有力者の意向が優先される構造が明らかになった
政治の実態将軍という権威そのものが、有力者の都合で入れ替え可能なものだと示された。これが各地の守護・大名が自立し、実力で領国を支配する戦国時代の流れへとつながっていった

年表で見る明応の政変めいおうのせいへん

出来事
1477年応仁の乱おうにんのらんが終結(京都は荒廃したままだった)
1489年第9代将軍・足利義尚あしかがよしひさが近江陣中で病死
1490年足利義政あしかがよしまさが死去。第10代将軍に義材よしき義稙よしたね)が就任
1493年4月細川政元ほそかわまさもとが、将軍・義材よしきの留守中にクーデターを決行
1493年義材よしきを廃し、足利義澄あしかがよしずみを第11代将軍に擁立(明応の政変めいおうのせいへん
1507年細川政元ほそかわまさもとが暗殺される(永正の錯乱)
1508年義材よしき義稙よしたね)が将軍に復帰

応仁の乱おうにんのらん後の混乱から明応の政変めいおうのせいへんへ進む流れは、この年表で整理できます。


応仁の乱おうにんのらんとのつながり

応仁の乱おうにんのらんは、京都を戦場とした大規模な戦乱として、戦国時代への入口となった出来事です。明応の政変めいおうのせいへんは、その延長線上で、将軍という権威そのものが有力者の都合で入れ替え可能なものになったことを示した事件として重視されます。ただし、これによって戦国時代が完全に始まったと断定できるわけではなく、転換点の一つとして捉えるのが安全です。

項目応仁の乱おうにんのらん明応の政変めいおうのせいへん
時期1467年から1493年
性格大規模な内乱幕府内部の政変
主な意味戦乱の拡大将軍権威の低下
戦国時代との関係戦国時代への入口戦国時代の政治構造を示す転換点

なお、明応の政変めいおうのせいへんを単純な「下克上」の物語として捉えすぎないことも大切です。細川政元ほそかわまさもとは身分の低い者が実力でのし上がった人物ではなく、もともと幕府内で重きをなしていた管領かんれい家の当主でした。


ジャパレキ視点

組織における肩書きと、実際に物事を動かす力は、必ずしも一致しません。将軍という肩書きがあっても、周囲の有力者に支えられなければ、政治は思うように動かせない――明応の政変めいおうのせいへんは、そのことをはっきりと示した出来事でした。

権威が形だけのものになったとき、現場で実力を持つ者が代わりに政治を動かすようになっていきます。この変化を敏感に読み取ることは、現代の組織や人間関係を考えるうえでも、案外役に立つ視点かもしれません。


まとめ

明応の政変めいおうのせいへんは、1493年に起きた室町幕府内部の政変です。管領かんれい細川政元ほそかわまさもとが将軍・足利義材あしかがよしきを追放し、足利義澄あしかがよしずみを新たな将軍として擁立しました。

この事件が重要なのは、単なる将軍交代ではなく、将軍という権威そのものが有力者の都合で入れ替え可能になったことを示した点にあります。応仁の乱おうにんのらん後の混乱が積み重なった先に起きたこの政変は、戦国時代の政治構造へとつながっていく転換点として、応仁の乱おうにんのらんとあわせて押さえておきたい出来事です。


参考資料・参考図書

小和田哲男監修・かみゆ歴史編集部編『地域別×武将だからおもしろい 戦国史』朝日新聞出版、2022年。
小和田哲男監修『地図でスッと頭に入る戦国時代』昭文社、2020年。


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