1946年4月10日、戦後初の衆議院議員総選挙が行われました。
この選挙では、20歳以上の女性が日本で初めて国政選挙の一票を投じ、25歳以上の女性が候補者になりました。約1,380万人の女性が新たに有権者となり、39人の女性議員が誕生します。
女性参政権は、敗戦後の占領改革によって短期間に法制化されました。一方、女性が政治集会へ参加する権利や選挙権を求める運動は明治・大正期から続いていました。
戦前からの運動、敗戦直後の女性団体の要求、GHQが示した民主化方針、日本政府と帝国議会による選挙法改正が重なり、初めての投票へつながりました。
要求・法改正・初投票の三段階
政治集会への参加、政治結社への加入、選挙権を段階的に求めました。
衆議院議員選挙法が改正され、女性へ選挙権と被選挙権を認めました。
女性が初投票。39人の女性衆議院議員が当選しました。
戦前の女性は政治に参加できなかったのか
明治期の集会条例や治安警察法は、女性が政治団体へ加入することや、政治演説会へ参加することを制限しました。
女性は国政選挙の選挙権・被選挙権を持たず、政治的な意思を議席へ直接反映できませんでした。
1919年、平塚らいてう、市川房枝らは新婦人協会を結成し、治安警察法第5条の改正を求めます。1922年の改正で、女性が政治演説会へ参加し、発起人になることは認められました。
しかし政治結社への加入禁止は残り、選挙権も実現しませんでした。
1924年には婦人参政権獲得期成同盟会が結成され、後に婦選獲得同盟と改称して運動を続けました。地方議会の選挙権を認める法案が衆議院を通過したこともありましたが、貴族院で成立しませんでした。
戦前の運動がすぐに制度を変えられなかったとしても、女性参政権を社会的な課題として可視化し、敗戦後の要求へ受け継いだ役割があります。
敗戦後、どのように法改正が進んだのか
1945年8月の敗戦後、市川房枝らは戦後対策婦人委員会を結成し、女性の参政権を含む要求を政府・議会・政党へ提出しました。
10月11日、GHQのマッカーサーは幣原喜重郎首相へ「五大改革」を示し、その一つに女性の解放と参政権を挙げました。
同じ月、幣原内閣は選挙制度改正の検討を進めます。堀切善次郎内務大臣は10月23日、女性へ選挙権と被選挙権を認める改正要綱を閣議へ提出しました。
法案は帝国議会で審議され、12月15日に成立、12月17日に公布されました。
改正法は選挙権を20歳以上、被選挙権を25歳以上とし、条文の性別による制限をなくしました。
1946年4月10日の総選挙はどのような選挙だったのか
戦後初の第22回衆議院議員総選挙は、女性が有権者・候補者として参加する初めての国政選挙でした。
内閣府男女共同参画局によれば、新たに有権者となった女性は約1,380万人です。投票日は平日でしたが、学校を休みにして家族へ投票を呼びかけるなど、政府も棄権防止の広報を行いました。
政党は敗戦後に再建され、日本自由党、日本進歩党、日本社会党、日本協同党、日本共産党などが候補者を立てました。
一方、1946年1月にGHQが公職追放を指示し、戦時体制を支えた政治家の多くが立候補できなくなります。選挙は、女性参政権の実現と同時に、戦前の政治家・政党の再編が進む中で行われました。
39人の女性議員は何を変えたのか
選挙の結果、日本自由党が第一党となり、39人の女性候補者が当選しました。
女性議員は総議席466の8.4%を占めました。現在の基準で見れば少ない割合ですが、女性議員が一人もいなかった帝国議会からの大きな変化です。
当選者の職歴や政治的立場は、教育者、医師、労働運動家、社会運動家、宗教家などさまざまでした。女性議員は複数の政党と政策分野から議会へ入りました。
この衆議院は第90回帝国議会で日本国憲法案を審議します。男女平等を定める憲法の成立過程に、初めて女性議員が参加しました。
女性参政権はGHQが与えたものなのか
GHQの民主化指令が法改正を加速させたことは確かです。敗戦から初投票まで8か月ほどしかなく、占領政策の影響は大きいものでした。
一方、日本の女性運動は戦前から政治参加を要求し、敗戦直後にも女性団体が政府と政党へ具体的な要望を提出していました。
日本政府の内務省が改正案を作り、枢密院と帝国議会が審議し、法律として成立させた手続もあります。
女性参政権は、長期の権利要求と、敗戦による政治体制の転換、占領下の民主化政策、国内の法改正が接続した結果と捉えると、実現までの全体像が見えます。
参政権の実現で平等は完成したのか
選挙権と被選挙権は、女性が政治へ参加する制度上の入口を開きました。
しかし39人の女性議員が当選した後、女性議員数は低下し、1963年の衆議院総選挙後には7人まで減りました。
家事・育児を女性の役割とする社会規範、候補者を選ぶ政党内の仕組み、選挙資金や職業経験、政治活動と家庭生活の両立など、代表者になるまでの障壁は残りました。
参政権は、投票できる権利だけを意味しません。候補者になること、政党や政策形成へ参加すること、異なる立場の声が議会に反映されることまで含めて、政治参加の実質が問われます。
初投票までの流れ
治安警察法改正で、女性が政治演説会へ参加する道が開かれました。
女性団体の要求とGHQの改革方針を受け、政府が法改正へ動きました。
女性へ国政選挙の選挙権・被選挙権を認めました。
女性が有権者・候補者として参加し、39人の女性議員が誕生しました。
まとめ|女性が政治を選び、政治を担う制度が始まった
1946年4月10日の戦後初の総選挙で、日本の女性は初めて国政選挙の一票を投じました。
制度の根拠は、1945年12月に成立した改正衆議院議員選挙法です。20歳以上の女性へ選挙権、25歳以上の女性へ被選挙権が認められました。
実現を後押ししたのは敗戦と占領下の民主化でした。そこには、明治・大正期から参政権を求めてきた女性運動と、敗戦直後の女性団体による要求もつながっています。
39人の女性議員は、日本国憲法を審議する議会にも参加しました。参政権の実現は男女平等の完成ではありませんが、女性が政治の対象として扱われる状態から、有権者・候補者・議員として政治を担う制度への転換でした。
参考資料・参考図書
- 国立公文書館「衆議院議員選挙法が改正され、婦人参政権が認められる」
- 国立国会図書館「5-5 総選挙」
- 内閣府男女共同参画局「女性参政権行使70年」
- 国立公文書館「女性参政権の実現」
- 国立公文書館「誕生 日本国憲法」

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