令和6年能登半島地震は、2024年1月1日に発生したマグニチュード7.6の地震を中心とする一連の地震活動です。
石川県輪島市と志賀町で震度7を観測し、強い揺れだけでなく、津波、火災、土砂災害、液状化、大きな地殻変動が重なりました。
被害をさらに深刻にしたのが、半島という地理条件です。
限られた道路が寸断され、集落が孤立しました。水道や通信が止まり、避難所への物資輸送、医療・福祉支援、住宅再建にも長い時間が必要になりました。
このページでは、地震で何が起きたのか、なぜ被害と支援の困難が長期化したのか、その経験が日本の防災をどう変えたのかを整理します。
令和6年能登半島地震とは、どんな災害だったのか
地震・津波・火災・土砂災害が重なり、半島部の孤立、高齢化地域の避難、長期的な生活再建の難しさを明らかにした複合災害です。
輪島市と志賀町で震度7を観測し、北陸を中心に広範囲が強く揺れました。
津波、火災、土砂災害、液状化、地盤の隆起が各地で起きました。
道路・水道・通信の寸断と高齢化が、避難生活と住宅再建を難しくしました。
令和6年能登半島地震とは?
気象庁が定めた「令和6年能登半島地震」という名称は、2024年1月1日の一度の地震だけを指すものではありません。
能登半島では2020年12月ごろから地震活動が活発になっていました。2023年5月5日にはマグニチュード6.5、最大震度6強の地震も発生しています。
その活動が続く中、2024年1月1日16時10分、石川県能登地方の深さ16キロメートルでマグニチュード7.6の地震が発生しました。輪島市と志賀町で震度7を観測し、能登地方の広い範囲で震度6弱以上の揺れになりました。
地震の約12分後、気象庁は石川県能登に出していた津波警報を大津波警報へ切り替えました。大津波警報は同日20時30分に津波警報へ切り替えられ、すべての津波注意報が解除されたのは翌2日10時です。
余震活動も非常に活発でした。気象庁によると、1月1日以後の約1か月間に最大震度5弱以上の地震が17回発生しています。
このため、令和6年能登半島地震は「元日に起きた一回の大地震」だけではなく、長く続く地震活動と、その後の避難・復旧・復興まで含めて理解する必要があります。
救命中心の初動から、生活を守り続ける災害対応へ
道路寸断、孤立集落、通信障害のため、被害把握と救助に時間を要しました。
断水、寒さ、医療・福祉、広域避難、被災者情報の共有が課題になりました。
国の先手支援、福祉支援、防災DX、広域避難などを強化する法整備へつながりました。
地震では何が起きたのか
約150キロメートルに及ぶ震源域
1月1日の地震後、地震活動の範囲は能登半島とその北東側の海域へ広がりました。
気象庁は、地震活動の分布や地殻変動の解析から、震源断層の長さを北東から南西方向へ約150キロメートルと推定しています。能登半島沿岸の活断層が活動したと考えられています。
これは、被害が一つの市町にとどまらず、半島の広い範囲へ及んだ背景の一つです。
最大4メートルを超える地盤の隆起
国土地理院は、輪島市西部で最大4.10メートルの隆起と、1.48メートルの西向きの水平変動を確認しました。
地盤が大きく隆起した地域では、海岸線そのものが変化しました。港湾や漁港は、建物や岸壁が壊れただけでなく、水深や海との位置関係も変わります。
地震からの復旧は、壊れた施設を元の形に戻せば終わるとは限りません。地形が変わった場所では、新しい地盤条件に合わせて港や道路を考え直す必要があります。
津波・火災・土砂災害・液状化が重なった
沿岸には津波が到達し、輪島市では大規模な市街地火災が発生しました。山間部では斜面崩壊や道路の崩落、平地では液状化による被害も起きました。
同じ地震でも、地域によって直面した危険は異なります。
海岸では津波、木造家屋が密集する市街地では火災、山間部では土砂災害、埋立地や砂質地盤では液状化に備える必要があります。
令和6年能登半島地震は、地震対策を「揺れに耐える建物」だけに限定できないことを示しました。
なぜ被害と支援の困難が長期化したのか
半島では代わりの道路を確保しにくい
能登半島の道路は、海岸線や山地に沿って延びています。
地震で道路が崩れたり、土砂でふさがれたりすると、別の道へ簡単に回りにくい地域があります。複数の道路が同時に被災し、多くの集落が孤立しました。
道路の寸断は、救助隊が到着できないという問題だけではありません。
食料や水、燃料を運べない。負傷者や持病のある人を医療機関へ移せない。復旧作業員が現地に入れない。一般のボランティアも受け入れにくい。交通の障害が、あらゆる支援の遅れにつながります。
水道と避難所の環境が生活を圧迫した
地震では水道施設も大きな被害を受け、断水が長期化しました。
水がなければ、飲み水だけでなく、トイレ、調理、入浴、洗濯、医療や介護にも影響します。避難所の衛生環境を保つことも難しくなります。
石川県では1月2日、避難所が最大423か所、避難者が40,688人となりました。その後は、被災地外の施設へ移る1.5次避難や2次避難も進められました。
広域避難は、安全と生活環境を確保するために必要です。その一方で、住み慣れた地域や家族、医療・介護サービスから離れる負担も生まれます。
高齢化と住宅再建の難しさが重なった
内閣府の検討報告書は、能登地域の6市町について、高齢化率が高く、家屋を建設できる土地が限られるという半島特有の制約を挙げています。
高齢化そのものが被害を生んだわけではありません。
避難時に介助が必要な人、持病の管理が欠かせない人、収入や借入の条件から住宅再建が難しい人を支える制度が、地域の実情に合っていたかが問われました。
地震で助かった命を、その後の避難生活でどう守るか。復旧だけでなく、医療・福祉と住宅再建を一体で考える必要が明確になったのです。
被害はどのように広がり、対応はどう進んだのか
発災から制度見直しまで
M7.6の地震が発生。輪島市・志賀町で震度7を観測しました。
石川県能登に大津波警報。救助、消火、避難、被害把握が同時に必要になりました。
孤立集落への支援、道路啓開、物資輸送、医療・福祉支援、広域避難が進められました。
インフラ復旧、仮設住宅、住まいと生業の再建、コミュニティ維持が長期課題になりました。
教訓を踏まえ、国の先手支援、福祉支援、広域避難、防災DXなどを強化する法改正が成立しました。
被害の数字から何が見えるのか
消防庁の第123報は、2026年3月31日時点で死者720人、行方不明者2人、負傷者1,407人、住家全壊6,536棟と集計しています。死者720人のうち、災害関連死は492人です。
ここでいう災害関連死とは、建物の倒壊や津波で直接亡くなった場合だけでなく、避難生活による体調悪化など、災害と死亡との因果関係が認められたものです。
災害関連死が多いことは、この災害の影響が発災直後で終わらなかったことを示します。
救助された後も、寒さ、断水、環境の変化、持病、介護、孤立、長期避難などが命に関わります。災害対応は、倒壊した建物から人を救う段階だけでなく、その後の生活を支える段階まで続くのです。
被害数は認定によって更新されます。そのため、数字を使う場合は「いつの集計か」を必ず確認する必要があります。
対応に関わった人と機関
発災直後には、地元消防、警察、自衛隊、海上保安庁、緊急消防援助隊、医療チーム、自治体職員などが救助と支援に入りました。
道路復旧には国土交通省のTEC-FORCEや建設事業者、物資輸送には自衛隊、トラック協会、物流事業者などが関わりました。避難所では保健師、医師、薬剤師、福祉職、栄養士、NPOやボランティア団体が支援を担いました。
復旧・復興では、国、石川県、市町、地域住民、事業者が長期にわたり関わります。
大規模災害では、「誰が指揮するか」だけでなく、異なる専門分野の情報と活動をどうつなぐかが重要です。
令和6年能登半島地震は、行政組織だけでは支えきれない課題に対して、専門職、民間事業者、NPOを平時から災害対応へ組み込む必要を示しました。
能登半島地震の教訓で防災制度はどう変わったのか
2025年、能登半島地震の教訓を踏まえた災害対策基本法などの改正が成立しました。
柱の一つは、国が自治体からの要請を待たず、先手で支援できる体制の強化です。大規模災害では、被災した自治体自身も庁舎や職員、通信手段に被害を受けます。要請を出す余力がない段階から、国や他の自治体が支援を始める必要があります。
もう一つは、福祉的支援の充実です。高齢者、障害者、在宅避難者などの支援ニーズを把握し、避難所運営と医療・福祉をつなぐことが重視されました。
さらに、NPO・ボランティア団体との連携、広域避難者への情報提供、防災DX、自治体の備蓄状況の公表、インフラ復旧の迅速化も法整備に盛り込まれました。
これは、災害対応の対象を「被災地」だけでなく「被災した一人ひとりの生活」へ広げる動きです。
復興では何を守るのか
復興では、道路や建物を直すことが必要です。
しかし、それだけでは地域は元に戻りません。
漁業、農業、商店、観光などの生業をどう再建するか。地域外へ避難した人が必要な情報を受け取れるか。戻りたい人が住宅を確保できるか。高齢者が医療や介護を受けながら暮らせるか。祭りや地域のつながりをどう保つか。
能登の復興では、人口減少と高齢化が進む地域で、災害前と同じ形をそのまま再現するのか、それとも生活を続けられる新しい地域の形をつくるのかという難しい判断が続きます。
復興は、壊れたものを修理する作業だけではありません。
どの地域で、誰が、どのように暮らし続けられるようにするのかを選び直す過程でもあります。
現代への学び|助かった命を、その後も守り続ける
地震への備えというと、耐震化や家具の固定、非常食の準備が思い浮かびます。これらは重要です。
ただし、令和6年能登半島地震が示したのは、発災直後を生き延びた後にも多くの危険があるということでした。
断水が長引いたとき、トイレや衛生をどう保つか。薬や医療機器を必要とする人をどう支えるか。道路が使えないとき、どこから物資を運ぶか。広域避難した人の情報を誰が管理するか。
個人の備蓄だけでは解決できない問題があります。
地域の備蓄、福祉と防災の連携、代替輸送路、支援者の受け入れ、被災者情報の共有まで準備して、初めて生活を守り続けることができます。
この災害から学ぶべきなのは、救命と生活再建を別々に考えないことです。助かった命を守り続ける仕組みまで含めて、防災なのです。
まとめ|令和6年能登半島地震は、生活を支える防災の必要性を示した
令和6年能登半島地震では、最大震度7の揺れに加え、津波、火災、土砂災害、液状化、大きな地殻変動が重なりました。
半島部の限られた道路と集落の孤立、長期断水、高齢化、住宅再建用地の不足が、避難と復旧を難しくしました。災害関連死の多さは、発災直後だけでなく、その後の生活環境が命に関わることを示しています。
この経験は、国の先手支援、福祉的支援、広域避難、防災DX、NPOとの連携を強化する制度改正につながりました。
令和6年能登半島地震は、建物を強くするだけでは災害から社会を守れないことを教えています。
救助、避難、医療・福祉、住まい、生業、地域のつながりを切れ目なく支えることが、これからの防災と復興に求められています。
参考資料・参考図書
- 気象庁「気象業務はいま2024|特集2 令和6年能登半島地震」
- 総務省消防庁「令和6年能登半島地震による被害及び消防機関等の対応状況(第123報)」
- 国土地理院「令和6年能登半島地震 現地緊急測量の結果」
- 内閣府「令和6年能登半島地震を踏まえた災害対応検討ワーキンググループ報告書」
- 内閣府「令和7年版 防災白書|令和6年能登半島地震の経験・教訓を踏まえた法制上の対応」

コメント