**正中の変(しょうちゅうのへん)**とは、
後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒そうとして立てた最初の計画が発覚し、未遂に終わった事件です。
この出来事は、
のちの 元弘の変 → 鎌倉幕府滅亡(1333年) へと続く流れの出発点であり、
日本史が大きく動き出す“はじまりの合図”となりました。
正中の変のポイントが一目でわかる
- 起きた年:1324年
- 時代:鎌倉時代(後期)
- 中心人物:後醍醐天皇
- 内容:鎌倉幕府を倒す計画を立てた
- 結末:計画が発覚し、実行されないまま失敗
正中の変の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 事件名 | 正中の変(しょうちゅうのへん) |
| 年 | 1324年(元亨4年 → 同年に正中へ改元) |
| 時代 | 鎌倉時代後期 |
| 主な人物 | 後醍醐天皇、日野資朝、日野俊基 など |
| キーワード | 倒幕、六波羅探題、朝廷と幕府の対立 |
そもそも「倒幕」とは?
当時の日本では、
天皇よりも武士の政権=鎌倉幕府が政治の実権を握っていました。
後醍醐天皇は、
「もう一度、天皇が政治の中心となる国に戻したい」
と考え、幕府を倒す=**倒幕(とうばく)**を目指します。
この思いが、最初に表に出たのが 正中の変でした。
正中の変で何が起きたのか
① 後醍醐天皇が倒幕計画を立てる
後醍醐天皇は、側近とともに
ひそかに幕府打倒の計画を進めていました。
② 六波羅探題を押さえる構想
当時、京都には幕府の出先機関である
六波羅探題(ろくはらたんだい) が置かれ、朝廷を監視していました。
倒幕を成功させるには、
まずこの六波羅探題を押さえる必要があると考えられていました。
③ 計画が発覚し、未遂に終わる
しかし倒幕計画は、
実行される前に幕府側へ漏れてしまいます。
その結果、
正中の変は戦いにすらならないまま失敗しました。
④ 関係者が処罰され、緊張が高まる
計画に関わった人々は捕らえられ、
流罪などの処分を受けます。
この事件をきっかけに、
幕府は
「後醍醐天皇は本気で幕府を倒そうとしている」
と強く警戒するようになりました。
なぜ正中の変は重要なのか
正中の変は、結果だけを見ると失敗です。
しかし、歴史の流れの中では極めて大きな意味を持ちます。
天皇の倒幕が“現実の政治問題”になった
この事件によって、倒幕は単なる不満ではなく、
実際に動き出した政治行動として認識されるようになりました。
元弘の変、そして幕府滅亡へ
正中の変から約7年後、
後醍醐天皇は再び倒幕を試みます。
それが 元弘の変(1331年) です。
この戦いは全国に広がり、
最終的に 1333年、鎌倉幕府は滅亡します。
つまり正中の変は、
鎌倉幕府崩壊の第一歩だったのです。
正中の変から幕府滅亡までの流れ
歴史が苦手な方は、
次の3つだけ押さえておけば十分です。
- 正中の変(1324年)
後醍醐天皇の最初の倒幕計画 → 失敗 - 元弘の変(1331年)
再び倒幕を試み、戦いが全国へ - 鎌倉幕府滅亡(1333年)
武士の政権が終わる
よくある疑問
正中の変は何時代の出来事?
**鎌倉時代(後期)**です。
なぜ「正中の変」と呼ばれるの?
事件が起きたときの元号は「元亨」でしたが、
その年に 「正中」へ改元されたため、
後の時代にこの名前で呼ばれるようになりました。
後醍醐天皇はなぜそこまで倒幕したかったの?
理由はひとつ。
天皇が政治の中心となる国を取り戻したかったからです。
しかしその理想は、やがて大きな内乱を生むことになります。
まとめ|正中の変は「時代が動き出した合図」
正中の変は、
戦いにすらならなかった小さな事件に見えるかもしれません。
しかし実際は――
- 後醍醐天皇の 本気の倒幕宣言
- 朝廷と幕府の 決定的な対立の始まり
- 鎌倉幕府滅亡へ向かう 歴史のスイッチ
となった、極めて重要な出来事でした。
この事件を知ることで、
なぜ鎌倉時代が終わり、
南北朝・室町時代へと進んでいくのか、
その流れが自然と理解できるようになります。

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