MENU
記事を探す

山名宗全とはどんな人?応仁の乱を引き起こした人物をやさしく解説

目次

① 人物名と基本プロフィール

・人物名:山名宗全
・読み方:やまな そうぜん
・簡単な肩書き:室町時代の守護大名(しゅごだいみょう)

一言でいうと
山名宗全は、室町幕府の中枢で起きた大争い「応仁の乱」の中心人物の一人です。
強い勢力を持つ武将で、政治の対立が全国規模の戦乱へ広がるきっかけを作りました。

※守護大名=将軍から任された「地方のトップ」。軍事と政治の力を持つ存在です。


② 誕生と没年|どんな時代を生きた人物か

・生年:1404年
・没年:1473年
・時代:室町時代

室町時代の後半は、将軍の力が弱まり、
有力な武将たちが政治の実権を争う不安定な時代でした。

京都では貴族や武士が入り混じって政治を行っていましたが、
決定権をめぐる対立が増え、話し合いで解決できない状況が続いていました。
その緊張が限界に達したとき、応仁の乱が起こります。


③ 最大の功績と特徴|何をした人物なのか

● 応仁の乱で「西軍」を率いた

山名宗全は、細川勝元と対立し、京都で大規模な内乱を引き起こしました。
この争いが、約10年続く応仁の乱の始まりです。

● 巨大な勢力を持つ守護大名だった

山名氏は多くの国を支配しており、宗全は「六分の一殿」と呼ばれるほどの大勢力でした。
それだけ影響力のある人物だったことがわかります。

● 政治的対立を武力で解決しようとした

本来は話し合いで解決すべき将軍家の問題を、
武力で押し通そうとした点が大きな特徴です。
これが戦国時代への流れを作る一因になりました。


④ 時代がわかる年表(表)

年号出来事解説
1404年山名宗全が生まれる後に室町幕府の政治を左右する大人物になる
1467年応仁の乱が始まる京都で武将同士の大規模な内乱が起こる
1473年山名宗全が亡くなる争いは終わらず、戦国時代へ進んでいく

⑤ もし山名宗全がいなかったら?

もし山名宗全が対立を武力で解決しようとしなければ、
応仁の乱はここまで大きくならなかったかもしれません。

京都が荒れ果てることもなく、
戦国時代の始まりはもっと遅れていた可能性があります。
それほど彼の存在は、日本史の分岐点でした。


⑥ 総まとめ|山名宗全はどんな人物か

山名宗全は、室町時代後半の有力な守護大名です。
政治的な対立をきっかけに応仁の乱を引き起こしました。
その結果、日本は戦国時代へと進んでいきます。
「時代を動かしてしまった人物」といえる存在です。


⑦ ジャパレキ的・3行まとめ

応仁の乱を起こした中心人物
巨大な力を持つ守護大名
戦国時代の引き金になった人

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次