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鎌倉幕府とは?武士が主役になった瞬間をやさしく解説

目次

鎌倉幕府って、どんな存在?

鎌倉幕府(かまくらばくふ)は、
今からおよそ800年前、源頼朝によってつくられた、
日本で初めての武士の政府
です。

それまで日本の政治は、
天皇や貴族が中心でした。
ところが鎌倉幕府の登場によって、歴史の流れは大きく変わります。

戦う役目を担っていた武士が、
国を動かす立場へと歩み出した瞬間でした。


なぜ鎌倉幕府は生まれたの?

平安時代の終わり、日本は争いの絶えない時代でした。
各地で戦いが続き、
「もう貴族の政治だけでは国を守れない」
という空気が広がっていきます。

そんな中で力をつけたのが、武士たち
その中心にいたのが、源頼朝でした。

頼朝は考えます。

「武士が武士のために動ける政治をつくろう。」

そして京都から離れた鎌倉に、
新しい政治の拠点を築いたのです。


鎌倉幕府の特徴は「しくみ」

鎌倉幕府は、ただの武士の集まりではありません。
はっきりした役割分担によって、国を動かしていました。

将軍 ― 名目上のトップ

幕府の顔となる存在。
最初の将軍は 源頼朝 です。

執権(しっけん) ― 実務の中心

将軍を支え、実際の政治を動かした立場。
のちに北条氏がこの役割を引き継ぎます。

御家人(ごけにん) ― 現場の武士たち

将軍に仕える武士。
戦えば評価され、土地や地位が与えられる――
努力が形になる社会がここにありました。


鎌倉幕府は何をしたの?

鎌倉幕府の政治は、とても現実的でした。

  • 土地の争いを裁く
  • 武士同士のトラブルを解決する
  • 反乱を防ぐ
  • 治安を守る

理想論よりも、

「どうすれば今の問題を解決できるか」
を大切にした政治だったのです。


六波羅探題との関係が見えてくる

鎌倉幕府の拠点は鎌倉。
一方で、天皇と朝廷は京都にいました。

そこで幕府は、
京都に六波羅探題という役所を置きます。

六波羅探題は、いわば――

鎌倉幕府の京都での窓口

  • 朝廷の動きを見守る
  • 反乱の兆しをつかむ
  • 幕府の命令を京都で実行する

この存在があったからこそ、
鎌倉幕府は全国へ目を配ることができたのです。


鎌倉幕府はなぜ終わったの?

どんな政権にも、終わりのときは訪れます。

鎌倉幕府の終わりを決定づけたのは、
後醍醐天皇の倒幕運動でした。

武士たちの不満、
政治の行き詰まり、
そして天皇の強い意志。

1333年、
鎌倉幕府は歴史の舞台から姿を消し、
日本は新しい時代へと進んでいきます。

その流れは――
建武の新政 → 南北朝時代 → 室町幕府
へとつながっていきました。


鎌倉幕府が日本史に残した最大の意味

鎌倉幕府が残した一番大きなもの。
それは、

「政治は武士が担うもの」という考え方を定着させたこと。

このあと日本の歴史は、
長く武士の時代になります。

戦国時代も、江戸時代も、
その原点は、鎌倉幕府にあります。


よくある質問(FAQ)

Q1. 鎌倉幕府はいつできたの?
A. 1192年、源頼朝が征夷大将軍になったころとされています。

Q2. なぜ鎌倉に幕府を置いたの?
A. 京都の貴族社会から距離を取り、武士の拠点として動きやすかったからです。

Q3. 六波羅探題は何のためにあったの?
A. 京都にある朝廷を管理し、幕府の力を全国に行き渡らせるためです

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