建武の新政って、どんな出来事?
**建武の新政(けんむのしんせい)**は、
1333年、後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒したあとに始めた、
新しい政治の試みです。
それまで約150年続いた
**武士の政権(鎌倉幕府)**が終わり、
日本は大きな転換点を迎えました。
後醍醐天皇は考えます。
「もう一度、天皇中心の政治を取り戻したい。」
こうして始まったのが、建武の新政でした。
なぜ建武の新政は始まったの?
鎌倉幕府の終わりは、
多くの武士たちの協力によって実現しました。
とくに活躍したのが、
足利尊氏や新田義貞といった武将たちです。
後醍醐天皇は、
彼らの力を借りて幕府を倒したあと、
新しい政治をスタートさせました。
しかし、
ここで大きな問題が生まれます。
「これからの国の中心は、誰なのか?」
後醍醐天皇は
天皇中心の政治を目指しましたが、
武士たちは
武士のための政治を期待していました。
このズレが、
建武の新政の行方を大きく左右します。
建武の新政で何をしようとしたの?
後醍醐天皇が目指したのは、
律令制度をもとにした古い形の政治の復活でした。
主な方針は――
- 天皇の権限を強める
- 公家(貴族)を政治の中心に戻す
- 武士には従来通りの役割を求める
つまり、
「武士の時代を一度リセットする」
ような改革だったのです。
なぜうまくいかなかったの?
建武の新政が長く続かなかった理由は、
とてもはっきりしています。
① 武士の不満が爆発した
命がけで戦った武士たちは、
土地や地位を期待していました。
しかし新しい政権では、
その期待に十分こたえられませんでした。
② 政治の進め方が現実に合っていなかった
後醍醐天皇は、
理想を大切にした政治を目指しました。
しかし、
戦乱のあとで荒れた社会には、
もっと実務的な政治が求められていたのです。
③ 足利尊氏との対立
やがて、
後醍醐天皇と足利尊氏の間に、
決定的な溝が生まれます。
尊氏は、
「武士のための新しい政治」を掲げ、
天皇から離れていきました。
建武の新政はどう終わったの?
1336年、
足利尊氏は京都に入り、
後醍醐天皇と決別します。
後醍醐天皇は吉野へ向かい、
ここから日本は――
南北朝時代へ突入します。
こうして建武の新政は、
わずか2~3年ほどで幕を閉じたのです。
建武の新政が日本史に残した意味
建武の新政は、短い期間でした。
しかし、その意味はとても大きなものでした。
この出来事は――
- 天皇中心の政治の最後の挑戦
- 武士の時代が本格的に固まる前夜
- 室町幕府誕生への序章
だったと言えます。
建武の新政があったからこそ、
その後の
足利尊氏 → 室町幕府
という流れが生まれたのです。
よくある質問(FAQ)
Q1. 建武の新政はいつ始まったの?
A. 1333年、鎌倉幕府滅亡のあとに始まりました。
Q2. なぜそんなに短かったの?
A. 天皇の理想と、武士たちの現実的な期待が合わなかったからです。
Q3. 足利尊氏はなぜ天皇と対立したの?
A. 武士の立場を守る政治をつくりたいと考えたからです。
Q4. 建武の新政のあとはどうなったの?
A. 南北朝時代に入り、のちに室町幕府が成立します。
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中世日本の流れが一気につながります。
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