イザナギ、イザナミの国生み、神生みから三貴子の誕生。そしてアマテラス、スサノオのストーリーを経て舞台は天上の世界『高天の原』から地上の世界『葦原中国』に物語が紡がれていく。葦原中国ではオオクニヌシの国造り、国譲り、天孫降臨、アマテラスの直系で神々の時代から人の世の繋ぎとして日向三代を経てウガヤフキアエズの子で後の『初代天皇』となるイワレビコが誕生する。
神々の時代から天皇が日本を統治する人時代へ紡がれていくのであった。
神々の時代
・高天の原のストーリーへ
・葦原中国のストーリーへ
初代天皇”イワレビコの旅立ち”
ウガヤフキアエズとトヨタメヒメの御子”イワレビコ”には三人の兄がいた。
長兄『イツセ』、次兄『イナヒ』、三男『ミケヌ』そして末弟にイワレビコである。
次兄のイナヒと三男ミケヌは古事記ではイワレビコの東征に参加していない。イナヒは母(トヨタマヒメ)を訪ねて海原の奥に行き、ミケヌは常世の国へ行ったとされている。
長男のイツセと末弟のイワレビコは天津神の子として地上を統治していた。この頃イツセやイワレビコが住んでいたのは九州の高千穂宮(宮崎県)であり、全国を支配するには目が届かず不向きの場所だった。
そこで、イワレビコはイツセに天下を統治するためにはもっと東へ向かうべきなのではと提案する。イツセもその考えに同意。二人は高千穂宮を出発し東へ旅立つのであった。
ナガスネビコとの激闘、イツセの死
イツセとイワレビコは高千穂宮から出発。日向の美々津の海岸から船で北上し豊の宇沙に逗留した後、筑紫の岡田宮→安芸の多祁理宮→吉備の高島宮と順調に東へ向かっていた。
しかし、浪速(難波)の白肩津で土豪のナガスネビコと衝突。ナガスネビコの軍勢に激闘末なんとか勝利した二人であったがイツセは腕に矢を受けて負傷してしまう。
イツセは「我ら太陽の子が太陽が昇る東を向き戦ったことが失敗だった」と悟る。イツセとイワレビコは進路を変更し今度は太陽が昇る東を背にして攻めるため南へ下り自分たちが日が上る東を背にして戦うため再進行する。
しかし、紀伊の男之水門でイツセは力尽き「卑しいやつの矢で死ぬことになろうとはな!」と無念の雄叫びを上げイワレビコに後を託し亡くなる。
八咫烏の導き
イツセに後を頼まれたイワレビコが軍勢の指揮を取り紀伊半島を船で回ってついに紀伊の熊野村に上陸する。
熊野村へ上陸すると熊野に巣食う神々が化けた大グマに襲われる。イワレビコ一行は神の邪気に襲われ次々と気を失ってしまう。
そこにタカクラジと名乗る男が現れる。タカクラジは夢の中でアマテラス、タカミムスヒ、タケミカズチが現れ太刀(布都御魂)をイワレビコに渡すようにと告げられたと話す。
タカクラジから太刀を受け取るとイワレビコは太刀を掲げ神の邪気を払うことに成功する。
邪気を払い終え皆が意識を取り戻し行軍を再開しようとするとタカクラジに神懸かりしたタカミムスヒ現れる。そして、イワレビコに「この先は八咫烏にしたがって行軍せよ」と告げるのである。
イワレビコはタカミムスヒのお告げに従い八咫烏に導かれ行軍していくのであった。
宇陀のエウカシとオトウカシ
八咫烏に従い大和の宇陀へたどり着いたイワレビコはエウカシとオトウカシの兄弟と出会う。
宇陀を支配していた兄弟に八咫烏を遣わし降伏を促すが追い返される。
しかし、イワレビコの率いる軍勢に対抗する兵力がなく兄であるエウカシは一度は従うふりをしてイワレビコを罠の仕掛けてある屋敷に招き入れることにする。
屋敷の罠は入れば床が持ち上がり天井に仕掛けてある無数の棘で圧殺する仕掛けであった。
エウカシの作戦は弟オトウカシの裏切りにより失敗に終わる。オトウカシはイワレビコに従うべきだと考え罠を密告する。その結果エウカシは自分の仕掛けた罠で死んでしまうのであった。
こうしてイワレビコは宇陀を制圧し次の目的である忍坂へ向かう。
忍坂の土雲ヤソタケル
イワレビコ一行は忍坂に到着する。
忍坂で一行を待っていたのはヤソタケル(八十建)と呼ばれる原住民、土雲たちであった。
イワレビコはヤソタケルを倒すために作戦を立てた。
作戦は宴を催し彼らを油断させて配膳係として配置していた部下たちに歌を合図に切り殺すといものだった。作戦は成功しイワレビコは忍坂を支配下におくことに成功する。
初代天皇の誕生/大和政権の確立
忍坂を支配下に置いた後もイワレビコの東征は続いていた。
そして、イワレビコは兄イツセの仇でもある宿敵ナガスネビコとの再戦することになる。
しかし、戦う前にナガスネビコの主であるニギハヤヒという神が現れ帰順を申し入れる。
ニギハヤヒはニニギの天孫降臨とは別に大和に降り立った神である。
そして、大和の支配者であった。
ニギハヤヒは物部氏の祖神。物部氏の他の豪族たちは天孫降臨の随伴神とされているのに対し物部氏の始祖神だけが大和支配者に位置付けられている。
これは大和政権誕生まえに物部氏が大和を支配せていたことを表しているとされる。
ニギハヤヒは天孫の子孫であり地上の正当なる統治者であるイワレビコに大和の支配権を譲り従うことを誓う。帰順の証として高天の原からもってきた玉を差し出してきた。
こうしてイワレビコは兄の敵討はできなかったが大和も支配下に置くことに成功したのであった。
大和を平定したイワレビコは畝傍山の麓に都『橿原宮』を置き初代神武天皇として即位し政治を行う。ここに神武天皇の築いた大和政権が誕生したのであった。
アマテラスの直系である天皇家の誕生
長かった神々のエピソードもこれで一区切りです。
ここまでの様々なエピソードから古事記・日本書紀についてで記述した『古事記は国内向けに天皇の支配の正当性、権威づけを目的としたものである』という意味がわかりました。
ここから第2代天皇の綏靖天皇の皇位継承争いのエピソードがあります。しかし、綏靖天皇から9代開化天皇までは記紀には系譜的な情報のみが記述されており具体的なことが何もわからないとされています。
そのため、2代〜9代天皇は欠史八代と呼ばれています。
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