時代が終わった、その瞬間
新田義貞の軍が鎌倉に突入。
150年続いた武士の政権が、ついに崩れます。
この歴史的な出来事が、鎌倉攻めです。
それは、単なる一つの戦いではなく、
鎌倉幕府という時代の終わりを告げる瞬間でした。
なぜ、幕府は最後まで守りきれなかったのか。
その答えを、ここからたどっていきましょう。
鎌倉攻めとは何だったのか
鎌倉攻めとは、
1333年(元弘3年)、倒幕軍を率いる新田義貞が鎌倉へ突入し、
鎌倉幕府を滅ぼした一連の戦いを指します。
久米川・分倍河原・関戸・竹ノ下・稲村ヶ崎――
これまでの戦いを経て、ついに倒幕軍は鎌倉の中枢へなだれ込みました。
ここで、
日本初の武士政権は幕を下ろします。
なぜこの戦いが重要なのか
鎌倉攻めが特別なのは、
戦場の勝敗以上に、時代そのものが切り替わった瞬間だからです。
この出来事を境に、
- 武士の政権が終わった
- 新しい政治の形が始まった
- 日本の権力構造が大きく変わった
まさに、日本史の大転換点でした。
鎌倉幕府はなぜ追い込まれていたのか
鎌倉攻めの時、幕府はすでに限界に近づいていました。
- 元寇後の恩賞不足
- 北条氏による専制への不満
- 朝廷との深い対立
- 各地で広がる倒幕の動き
武士たちの心は、
もはや幕府から離れつつあったのです。
鎌倉攻めで何が起きたのか
稲村ヶ崎を突破した新田義貞は、
一気に鎌倉へ軍を進めます。
幕府軍は、最後の抵抗を試みましたが、
- 防衛線はすでに崩壊していた
- 指揮系統は乱れていた
- 武士たちの士気も低下していた
この状態では、
もはや流れを止めることはできませんでした。
倒幕軍は鎌倉に突入し、
幕府の中心地は制圧されていきます。
最後に何が起きたのか|北条一族の最期
鎌倉攻めのクライマックスは、
東勝寺での北条一族の最期です。
幕府の実権を握っていた北条氏は、
敗北を悟り、集団で自害しました。
これにより、
鎌倉幕府は名実ともに滅亡します。
150年続いた武士の政権は、
こうして幕を閉じました。
鎌倉攻めが日本史に残したもの
鎌倉攻めは、ただの終わりではありません。
それは、
新しい時代の始まりでもありました。
このあと日本は、
- 建武の新政
- 室町幕府の成立
へと進み、
再び大きな転換期を迎えます。
鎌倉攻めは、
そのすべての出発点となった出来事でした。
まとめ|鎌倉攻めは「終わり」と「始まり」が重なった瞬間
鎌倉攻めとは、
新田義貞が鎌倉に突入し、
鎌倉幕府という時代を終わらせた最後の戦いです。
しかし同時にそれは、
日本の政治が次の形へ進む、
新しい歴史のスタートでもありました。
150年続いた武士の政権はここで終わり、
日本は、次の時代へと歩み出したのです。
この流れをもっと知りたい人へ
- 稲村ヶ崎の戦いとは?新田義貞が海から突破した奇策
- 関戸の戦いとは?鎌倉幕府最後の防衛線が崩れた瞬間
- 分倍河原の戦いとは?新田義貞が流れを変えた決定的転機
- 久米川の戦いとは?新田義貞が勢いをつかんだ倒幕の第一歩
- 建武の新政とは?幕府滅亡後の新しい政治

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