明治の日本は、
生き残ることに必死な国でした。
不平等条約の改正、
列強との戦争、
近代国家としての承認。
それらを一つずつ乗り越え、
日本はついに、
列強の一員として
国際社会に立つ国
になります。
そしてこの「自立」のあと、
日本社会は
次の問いに直面しました。
この国は、
誰のために、
どうやって運営されるのか。
この問いから生まれたのが、
大正デモクラシーです。
大正デモクラシーとは|「外から認められた国」が内側を見始めた時代
大正デモクラシーとは、
大正時代(1910年代〜1920年代)を中心に、
- 日本が国際的に自立した後
- 国内社会のあり方を問い直し
- 国民参加の政治へ近づいていった
政治・社会の大きな流れを指します。
明治が
国家をつくる時代
だったとすれば、
大正は
国家の中身を問う時代
でした。
独立を果たした日本が直面した変化
国としての立場が変わると、
社会の課題も変わります。
①「外の敵」から「内の問題」へ
明治期の最大の関心は、
- 植民地にされないこと
- 列強に並ぶこと
でした。
しかし独立を果たした後、
日本が直面したのは、
- 貧富の差
- 労働問題
- 都市と農村の格差
といった
国内の問題です。
国家の危機は、
外ではなく
内側にある
と意識されるようになります。
② 国民は「守られる存在」から「支える存在」へ
戦争と経済成長を通じて、
- 工場で働く労働者
- 都市の中産階級
- 教育を受けた若者
が増えました。
人々は、
この国は、
自分たちの働きで成り立っている
と自覚し始めます。
国民はもはや、
国家に従うだけの存在ではありませんでした。
③ 生活と政治が結びついた
独立後の日本は成長しましたが、
同時に生活は不安定になります。
- 物価の上昇
- 米価の高騰
- 生活苦
1918年の 米騒動 は、
生活の問題を
政治の責任として訴えた出来事
でした。
ここから人々は、
- 政治は生活と直結している
- 国民の声で変えられる
と学んでいきます。
政治の変化|「国家のため」から「国民のため」へ
社会の変化は、
政治の姿勢も変えました。
大正期には、
- 政党が議会多数を背景に内閣をつくる
- 政策で国民に応える
政党内閣が定着していきます。
象徴的な存在が、
原敬
でした。
彼の政治は、
国民生活を基準に
政策を考える
という方向を、
日本政治に示しました。
独立国家だからこそ求められた「民主化」
重要なのは、
大正デモクラシーが
- 弱い国の抵抗
ではなく、 - 自立した国の選択
だった点です。
外国に左右されないなら、
次は国内で納得できる政治を
という発想が、
民主化を後押ししました。
「選ぶ政治」への進展|普通選挙運動
独立後の日本社会では、
国を支える者が
政治を選ぶべきだ
という考えが広がります。
その結果、
1925年に 普通選挙法 が成立し、
- 多くの男性が
- 政治の選択に参加
できるようになりました。
これは、
国民が国家運営の一部になった
ことを意味します。
史実で整理する|独立後の大正デモクラシー
前提条件
- 条約改正の完了
- 戦勝国としての国際的自立
国内の変化
- 社会問題の顕在化
- 国民意識の成熟
政治の動き
- 政党内閣の定着
- 普通選挙運動の高まり
それでも残った矛盾と不安
独立後の民主化は、
順風満帆ではありませんでした。
- 女性に選挙権はない
- 思想弾圧(治安維持法)
- 経済不安の継続
自由は広がりましたが、
それを恐れる力
も同時に存在していました。
なぜ「独立後の変化」が重要なのか
大正デモクラシーを理解する鍵は、
日本が
外からの評価より
内部の納得を重視し始めた
点にあります。
これは、
- 近代国家として
- 一段階進んだ証
でもありました。
まとめ|大正デモクラシーは「自立した国家の内省」だった
大正デモクラシーは、
- 独立を果たした日本が
- 自分たちの社会を見つめ直し
- 国民参加の政治を模索した
時代でした。
それは不完全で、
多くの矛盾を抱えていました。
それでも、
この国は、
国民のものである
という考えが、
はっきりと芽生えた時代でもあります。
大正デモクラシーは、
独立後の日本が選んだ、最初の民主化の試み
だったのです。
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