はじめに|「戦国が始まる空気」は、加賀で先に爆発していた
戦国時代というと、全国の大名が争うイメージが強いかもしれません。
でも加賀では、守護が国をまとめきれない不安定さが続き、ついに1488年、守護そのものが一揆で倒される事件が起きます。
その中心にいたのが、加賀国守護の富樫政親です。
プロフィール|富樫政親の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 富樫政親(とがし まさちか) |
| 生年 | 1455年頃(諸説) |
| 没年 | 1488年 |
| 立場 | 室町時代後期の武将・守護大名/加賀国守護(富樫氏当主) |
| 主な舞台 | 加賀(現在の石川県) |
| 最期 | 1488年、石川郡高尾城で自害(長享の一揆) |
まず結論|富樫政親が日本史に残した影響
富樫政親の歴史的な重みは、ひとことで言うとこれです。
「守護が国を支配する時代」の限界を、加賀で“結果として”見せた人物。
1488年の一揆で政親が倒れた後、加賀では一揆勢力の影響が強まり、長期にわたって国の運営が続いた、と説明されています。
つまり政親の最期は、戦国の前夜に「支配の形が変わる瞬間」を示す出来事でもあります。
功績・立場|政親は何を担っていたのか
1)加賀国守護として「国内の争いを抑える役」だった
政親は加賀国守護として国をまとめる立場にありました。
ただ、加賀は当時から不安定で、守護家の争いも続いていたと自治体の解説でも語られています。
2)一向宗門徒(門徒勢力)との対立が深刻化した
一揆側が動いた背景として、重い課税への反発が示されています。
政親は結果的に、国内の不満と結びついた門徒勢力に追い詰められていきます。
史実エピソード|政親の人生が動いた3つの場面
エピソード1|「不安定な加賀」で守護になった(争いの火種が残ったまま)
加賀では守護家の争いが続き、政親が守護になっても不安定さが残っていたことが説明されています。
ここが、のちの大爆発(1488年)につながる“下地”になります。
エピソード2|1488年、叔父の 富樫泰高 を中心に一揆が動く
1488年、一揆側は政親の叔父・泰高を同盟の中心にして反乱を起こした、とされています。原因には重い税への反発が挙げられています。
「家の内部」と「国の不満」が結びついた瞬間です。
エピソード3|高尾城 に籠城、そして自害へ(長享の一揆)
政親は高尾城に立てこもり、一揆勢は包囲。合戦は6月5日に始まり、6日の戦いで勝敗が決定的となり、9日に政親は自害した――と具体的に説明されています。
守護が「城で討たれる(自害に追い込まれる)」という形で終わるのは、時代の空気が変わったサインでもあります。
年表|富樫政親の転換点
※確実性の高い流れに絞っています。
| 年号 | 出来事 | 解説 |
|---|---|---|
| 1455年頃 | 誕生(諸説) | のちに富樫氏当主として加賀国守護を担う |
| (室町後期) | 加賀国守護として政務 | 加賀国内は不安定で、守護家の争いも続いていたとされる |
| 1488年(長享2) | 長享の一揆(加賀一向一揆) | 一揆勢が蜂起し、政親は高尾城に籠城 |
| 1488年6月 | 高尾城の戦い | 包囲の末、6月9日に自害したと説明される |
まとめ|富樫政親は「守護の時代の終わり方」を体現した
富樫政親は、室町後期の加賀国守護として不安定な国内を抱えながら統治にあたり、1488年の「長享の一揆」(加賀一向一揆)で高尾城に籠って自害に至った人物です。
この事件の後、加賀では一揆勢力の影響が長期に及んだとされ、戦国前夜の社会変化を理解するうえで重要な転換点になります。
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参考文献・参考資料
- デジタル大辞泉(コトバンク)「加賀の一向一揆」
- 野々市市「富樫氏の争いと長享の一揆」
- Wikipedia「富樫政親」「加賀一向一揆」
- 石川県立図書館「ふるさとコレクション:富樫政親」

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