応仁の乱は、会議で始まったわけではありません。
1467年、京都の上御霊神社付近で起きた衝突――**御霊合戦(ごりょうかっせん)**が、
「もう止まらない」空気を作りました。
それまで政治は、ギリギリの調整で踏みとどまっていました。
しかし、この衝突で“戦が始まった事実”が生まれ、歯止めが外れていきます。
目次
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御霊合戦は何が起きた?
ざっくり言えば、京都の同じ空間で、畠山両派がぶつかった――それが御霊合戦です。
政局の対立が「武力衝突」に変わった瞬間であり、応仁の乱が“現実の戦争”へ入る入口になりました。
なぜこの衝突が致命的だったのか
1)京都で戦った=政治の中心が戦場になった
地方の争いなら、まだ“外側の問題”として扱えます。
しかし京都で戦えば、政治そのものが揺れます。
2)「先に戦った側」をめぐり、正当性の争いが燃える
戦の最初は、責任の押し付け合いになります。
「賊軍」扱いを避けるために、各勢力が引けなくなる。
この空気が拡大し、全面戦争へつながります。
3)“武力で解決できる”という前例ができた
いったん刀が抜かれると、次からは交渉より軍事が優先されやすくなります。
御霊合戦は、政治の重心を「調整」から「武力」へ傾ける引き金になりました。
まとめ
御霊合戦は、応仁の乱が「止められなくなった」起点の一つです。
畠山両派の衝突が、京都を戦場に変え、政局を武力で動かす流れを強めました。
次に読む
- 室町時代の出来事一覧(応仁の乱前後を年表でつなぐ)
- 山城国一揆(畠山争いの“地域への反動”)
参考文献・資料(簡潔)
- 『国史大辞典』関連項目
- 応仁の乱・室町政治史の概説
- 各人物記事(畠山政長/畠山義就)掲載の年表・解説

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