原敬は、なぜ「平民宰相」と呼ばれたのか
「首相」と聞くと、
華族や特別な家柄の人物を思い浮かべるかもしれません。
けれど日本には、
貴族でもなく、武士の名門でもない首相がいました。
それが 原敬 です。
原敬は、
日本で初めて本格的な政党内閣を率いた首相であり、
民衆の声を政治に反映させようとした人物でした。
原敬の基本プロフィール
- 名前:原 敬(はら たかし)
- 生年:1856年
- 没年:1921年
- 出身:岩手県(旧・南部藩)
- 役職:内務大臣/内閣総理大臣
- 活躍した時代:明治〜大正時代
原敬はどんな人物だったのか
「平民宰相」という異例の首相
原敬は、
華族(貴族)ではなく、爵位も持たないまま首相になりました。
当時の首相の多くは
- 元老
- 貴族
- 軍の実力者
といった、限られた人々でした。
その中で原敬は、
政党の力と選挙を背景に首相になった最初の人物だったのです。
なぜ原敬は政党政治を進めたのか
政治を「国民のもの」にしたかった
原敬は、
「政治は一部の偉い人だけのものではない」
と考えていました。
そのために彼が重視したのが、
- 国会
- 政党
- 選挙
でした。
国民の声を、
政党を通じて政治に届ける仕組みを作ろうとしたのです。
原敬内閣とは何が画期的だったのか
日本初の「本格的政党内閣」
1918年、
原敬は内閣総理大臣に就任します。
この内閣には、
- 政党出身の大臣が多数参加
- 元老や軍の直接支配を弱める
- 国会中心の政治運営
といった特徴がありました。
これが、
日本で初めての本格的な政党内閣です。
米騒動と原敬の登場
民衆の怒りが首相を生んだ
1918年、
米の価格高騰をきっかけに、全国で 米騒動 が起こります。
この出来事は、
「国民の不満を無視した政治は続かない」
という現実を突きつけました。
その流れの中で誕生したのが、
原敬内閣だったのです。
👉 原敬は、
民衆の声を受けて誕生した首相とも言えます。
原敬が目指した政治
原敬の政治には、次のような特徴がありました。
- 普通選挙の実現を見すえる
- 地方自治の重視
- 官僚や軍の暴走を抑える
- 国会を中心とした政治運営
すぐにすべてが実現したわけではありません。
それでも原敬は、
「民主主義への道」を現実の政治に持ち込んだ人物でした。
原敬の最期|なぜ暗殺されたのか
1921年、
原敬は東京駅で暗殺されます。
犯人は、
原敬の政治に不満を持った青年でした。
この事件は、
- 政党政治への反発
- 社会の不満や不安
- ナショナリズムの高まり
といった、当時の日本社会の不安定さを象徴しています。
原敬が日本に残したもの
原敬が残した最大の功績は、
「政治は国民のものだ」という考えを現実の政治に持ち込んだことです。
- 政党政治の定着
- 国会中心の政治
- 民衆の声を重視する姿勢
これらは、
後の 普通選挙法 や 大正デモクラシー につながっていきます。
まとめ|原敬とはどんな首相だったのか
原敬とは、
- 日本初の本格的政党内閣をつくった首相
- 「平民宰相」と呼ばれた異例の政治家
- 民主主義への道を現実に切り開いた人物
でした。
もし原敬がいなければ、
日本の民主主義は、
もっと遠回りしていたかもしれません。
次に読みたい記事(内部リンク用)
- 大正デモクラシーとは?なぜ民主主義が広がったのか
- 米騒動とは?民衆の怒りが政治を動かした瞬間
- 吉野作造とは?民本主義を唱えた思想家
- 昭和時代まとめ|大正の次に日本を待っていた時代

コメント