はじめに
794年、日本の都は奈良の平城京から新しい都「平安京」へと移されました。
この出来事を 「平安京への遷都」 といいます。
でも、
- なぜ平安京が選ばれたのでしょうか?
- 平安京は、どんな都だったのでしょうか?
この記事では、
「なぜこの場所だったのか」
「どんな理想の都を目指したのか」
を、歴史初心者の方にもわかりやすく解説します。
平安京へ移る前、日本はどんな状況だったのか
平安京に移る前の都は、奈良の 平城京 でした。
平城京は立派な都でしたが、しだいに問題が増えていきます。
平城京が抱えていた問題
- 仏教勢力が政治に強く関わるようになった
- 貴族どうしの争いが激しくなった
- 疫病や火災が多発した
- 天皇の思う政治がしにくくなっていた
当時の天皇・桓武天皇 は、
「このままでは国をうまく治められない」
と考え、新しい都をつくる決断をします。
こうして始まったのが、遷都計画でした。
なぜ平安京が選ばれたのか
いくつかの候補地を検討した末、選ばれたのが現在の京都にあたる 平安京 です。
そこには、はっきりした理由がありました。
① 地形が都づくりに理想的だった
平安京の場所は、
- 北・東・西を山に囲まれ
- 南に向かって開けている
という、守りやすく、広がりのある地形でした。
さらに、
- 鴨川などの川が近く、水の確保がしやすい
- 交通の便も良い
という点も、大きな魅力でした。
② 仏教勢力から距離を取れた
平城京では、大寺院の力が強くなりすぎていました。
桓武天皇は、政治を天皇中心に戻したかったのです。
平安京は、奈良の大寺院から距離があり、
政治と宗教を切り離す という狙いにぴったりでした。
③ 新しい時代のスタートを象徴できた
遷都は単なる引っ越しではありません。
桓武天皇にとって平安京は、
「新しい政治、新しい国づくりの象徴」
でした。
だからこそ、まったく新しい都として、平安京が選ばれたのです。
平安京はどんな都だったのか
では、実際の平安京はどのような都だったのでしょうか。
中国風の理想都市をモデルにした設計
平安京は、中国の都・長安をお手本にして造られました。
特徴は次の通りです。
- 道はきれいな 碁盤の目 状
- 中心に 大内裏(天皇の住まいと政治の場)
- 南に向かってまっすぐ伸びる朱雀大路
とても計画的で、
「秩序ある都」を目指したことがわかります。
貴族の都として発展
平安京は、しだいに
- 公家文化
- 宮廷行事
- 和歌や物語の世界
が花開く、貴族中心の都 になっていきました。
紫式部や清少納言が活躍したのも、
この平安京の宮廷社会です。
しかし、完璧な都ではなかった
理想的に造られた平安京ですが、問題もありました。
- 南の方は人が少なく、荒れやすかった
- 治安は必ずしも良くなかった
- 火災や疫病は依然として発生した
つまり平安京は、
理想と現実が入り混じった都 だったのです。
平安京への遷都がもたらした影響
平安京への遷都は、日本の歴史に大きな影響を与えました。
① 平安時代400年の始まり
平安京は、その後約400年にわたって日本の都となり、
平安時代 という長い時代が始まりました。
② 日本独自の文化が育った
遣唐使が廃止されると、
中国文化をまねる時代から、
日本らしい文化(国風文化) へと変化します。
和歌、ひらがな文学、物語文化――
その中心にあったのが平安京でした。
③ 京都という都市の誕生
平安京は、形を変えながらも
現在の京都 へとつながっていきます。
つまり、私たちが知る京都の歴史は、
この遷都から始まったと言えるのです。
よくある疑問
Q. なぜ一度、長岡京に移ってから平安京にしたの?
A. 平城京→長岡京→平安京と、段階的に遷都が行われました。
長岡京では洪水や政情不安が続き、「ここでは理想の都はつくれない」と判断されたため、最終的に平安京が選ばれました。
Q. 平安京にはどれくらい人が住んでいたの?
A. 最盛期には10万人以上が住んでいたと考えられています。当時としては、かなり大きな都市でした。
まとめ
平安京への遷都は、
単なる「都の引っ越し」ではありません。
- 仏教勢力から距離を取り
- 天皇中心の政治を取り戻し
- 新しい時代をつくるための大きな決断
でした。
そして平安京は、
日本独自の文化が花開く舞台となり、
今の京都へとつながる歴史の出発点となったのです。

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