「株が落ちただけ」では終わらなかった
1990年、日本の株価は大きく崩れました。
しかし本当に重要なのは、株価が落ちた“その後”に何が起きたかです。
企業の投資が止まり、銀行の貸し出しが慎重になり、土地の値段まで揺れ始める。
この出来事は、のちに「失われた時代」と呼ばれる長い停滞の入口になっていきます。
この記事では、1990年の株価急落を“始まり”として、何が連鎖したのかを、流れで整理します。
3行でわかる結論
- いつ:1990年(平成2年)
- 何が:日経平均が年初から年末にかけて大きく下落し、バブルの熱が冷え始めた
- 何が変わった:金融が引き締まり、企業と銀行の行動が変わり、やがて資産価格全体の下落につながっていった
まず何が起きた?|1990年、株価が崩れた
バブル期、日本の株価は“上がり続ける空気”に包まれていました。
日経平均は1989年末に歴史的な高値をつけます(1989年12月29日の終値は38,915.87)。
ところが1990年に入ると流れが一変します。
1990年は日経平均が大きく下落し、年内だけで大幅に値を落としました。
ここで大事なのは、株価の下落が「気分の悪化」で終わらず、**お金の流れ(融資・投資・担保)**を直撃したことです。
なぜ1990年に崩れた?|背景を3つに整理
① お金が“締まっていった”(金融の引き締め)
バブル期の過熱を抑えるため、日銀は公定歩合(当時の基準金利)を段階的に引き上げていきます。
1989年末〜1990年にかけて、金利は引き締め方向へ動き、1990年8月時点で6.00%となりました。
金利が上がると、借りるコストが増えます。
企業も個人も、“借りて投資する”勢いが鈍り、株や不動産の世界にブレーキがかかっていきます。
② 「担保で回る世界」が不安定になった
当時の日本は、土地や株などの資産価値を背景に信用が膨らみやすい構造がありました。
株が下がれば、資産の評価が下がり、借りやすさが変わります。
すると投資も止まりやすくなり、下落が連鎖しやすくなります。
③ “上がる前提”が崩れた(空気の変化)
バブルは数字だけでなく、期待で膨らみます。
「明日も上がる」という空気が、1990年に揺らぎました。
空気が変わると、売りが売りを呼び、現実の動きが加速します。
当日の流れ|「直前→急落→その後」の5コマで追う
1)直前:1989年末、熱が最高潮
株価が高値圏にあり、強気が広がっていました。
2)発生:1990年、下落が目に見える形になる
1990年は年初から年末にかけて大きく下がり、バブルの終わりが“数字”になって現れます。
3)拡大:企業の投資心理が冷える
株価が落ちると、企業の時価総額が縮み、資金調達も慎重になります。
「攻めるより守る」空気が強まり、投資計画が見直されていきます。
4)連鎖:金融機関の姿勢が変わり始める
資産価格が落ちると担保評価が揺れ、融資の判断が慎重になっていきます。
この“慎重さ”が、景気をさらに冷やす方向へ働きます。
5)その後:株だけでなく、資産価格全体が揺れる入口へ
土地価格もやがてピークアウトし、90年代前半に「資産デフレ」の色が濃くなっていきます。
内閣府の資料でも、バブル崩壊後に土地価格が下落基調となった流れが述べられています。
キーパーソンは誰?|主役は「市場」だけじゃない
日銀(金融政策)
過熱を抑えるための引き締めは、結果として資産価格の調整局面と重なりました。
金利の推移は日銀の統計で確認できます。
銀行(融資の判断)
銀行は景気の温度差を“貸し方”で作ります。
資産価格が下がり始めると、貸し出しの姿勢が変わり、企業活動に影響が出やすくなります。
企業・個人(期待と行動)
「上がる前提」が崩れる瞬間、最初に変わるのは投資行動です。
ここから“慎重さ”が社会全体に広がっていきます。
何が変わった?|影響を「短期・中期・長期」で整理
短期:投資と消費の空気が冷える
株価の下落は、心理を直撃します。
企業の攻めが弱まり、家計も様子見になっていきます。
中期:金融の傷が残る(不良債権問題へ)
資産価格の下落が続くと、融資の回収が難しくなり、金融機関に負担が残ります。
この問題は90年代以降の大きなテーマになりました(バブル崩壊後の長期停滞との関係が指摘されています)。
長期:「失われた時代」の入口として記憶される
株価の急落は“始まり”で、終わりではありません。
その後も長く調整が続き、日本経済の景色を変えていきました。
誤解されやすい点|「1990年=全部終わり」ではない
- 誤解①:1990年に一気に全てが崩れた
→ 1990年の株価急落は象徴的ですが、資産価格や経済の調整は時間差で広がりました。 - 誤解②:株価だけの話
→ 株は入口。金融・投資・担保・心理が絡み合い、影響が社会へ波及しました。
いまにつながる|「資産価格の波」は社会の空気まで変える
バブル崩壊の経験は、
「資産が上がっている時ほど、何を前提に動いているかを点検する」
という教訓を残しました。
株価は数字ですが、背後にあるのは期待と信用です。
その前提が崩れたとき、変わるのは市場だけではなく、人々の行動そのものです。
前後関係がわかるミニ年表(内部リンク用)
- 1989年末:日経平均が高値圏(バブル最高潮)
- 1990年:株価が急落し、空気が変わる
- 1991年以降:資産デフレ色が強まり、調整が長期化
(ここに内部リンク)
- 👉 バブル経済とは?熱狂の時代の正体(※既存記事へ)
- 👉 プラザ合意とは?日本経済が変わった瞬間(※既存記事へ)
- 👉 平成の経済まとめ|バブル崩壊からデフレへ(※ハブへ)
まとめ|結局、1990年の株価急落は何だったのか
1990年の株価急落は、バブルの“終わり”というより、崩壊が始まった合図でした。
株価の下落は、投資心理を冷やし、金融の動きに影響し、やがて資産価格全体の調整へつながっていきます。
次に読むなら
- 「そもそもバブルって何だったの?」を最初から整理したい人へ
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FAQ
Q1. 日経平均はいつピークだったの?
1989年末に歴史的な高値をつけています(1989年12月29日の終値は38,915.87)。
Q2. 1990年に何が引き金になった?
要因は複合ですが、金融の引き締め(公定歩合引き上げの流れ)と、期待が崩れたことが重なりました。
Q3. 株が落ちただけで、なぜ不況につながるの?
株価は企業や個人の資産・心理・資金調達に影響します。
さらに担保評価や融資姿勢にも波及し、実体経済に連鎖しやすくなります。
参考文献・資料
- 日本銀行「The Basic Discount Rate and Basic Loan Rate(公定歩合等の推移)」
- 内閣府(Cabinet Office)「Deflation and asset deflation(資産デフレの記述)」
- Okina, Shirakawa, Shiratsuka (2001) The Asset Price Bubble and Monetary Policy: Japan’s Experience…(都市地価指数のピーク等)
- Nippon.com「日経平均が1989年の高値を更新(過去最高値の説明)」
- (補助)Japanese asset price bubble(年次の概観・1990年の下落幅)

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