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平清盛の政権確立とは?清盛はどのようにして権力を握ったのかをわかりやすく解説


目次

はじめに

**平清盛(たいらのきよもり)**は、日本史で初めて

武士として政権の中心に立った人物
です。

しかし清盛は、最初から権力者だったわけではありません。
地方武士の一人にすぎなかった清盛が、
なぜ朝廷のトップにまで上りつめたのでしょうか。

この記事では、

  • 清盛はどんな立場から出発したのか
  • どのようにして権力を握ったのか
  • その政権は日本に何をもたらしたのか

を、歴史初心者にもわかりやすく解説します。


平清盛とは?まず人物を簡単におさらい

平清盛は、伊勢平氏の出身で、
もともとは

地方で武装して働く武士の家系

でした。

当時の日本の政治の中心は、
天皇・上皇・貴族たち。
武士はまだ「使われる立場」にすぎません。

つまり清盛は、

政治の世界では完全に脇役の立場

からスタートした人物だったのです。


平清盛はどのようにして権力を握ったのか

清盛の成り上がりは、
偶然ではなく 段階的な戦略の積み重ね でした。

大きく分けると、
5つのステップ で見ることができます。


ステップ① 院政の時代に「武力」を武器にした

12世紀、政治の中心は 院政
上皇と貴族の対立が激しく、
都の争いは武力なしでは解決できなくなっていました。

このとき必要とされたのが、

戦える存在=武士

です。

清盛は、

  • 治安維持
  • 朝廷の軍事行動

で活躍し、
「使える武士」から「頼れる武士」へ
と評価を高めていきます。


ステップ② 保元の乱で名を上げた

1156年の 保元の乱 で、
清盛は後白河天皇側について戦います。

この戦いで、

  • 武士の実力が初めて都で示され
  • 清盛は勝者側の武将として評価されました。

ここで清盛は、

「武士でも、政治の中心に近づける」

という道を切り開いたのです。


ステップ③ 平治の乱で最大のライバルを倒した

1159年の 平治の乱 は、
清盛の運命を決定づけた戦いです。

この乱で清盛は、

  • 源義朝(源氏の棟梁)を破り
  • 政敵・藤原信頼を排除

して、
最大のライバルを一気に失脚させます。

この結果、

都に残った最強の武士 = 平清盛

という立場が確立しました。


ステップ④ 朝廷と深く結びついた

清盛のすごさは、
武力だけで終わらなかった点にあります。

彼は次に、
政治の世界に本格的に入り込む戦略をとりました。

  • 娘・徳子を高倉天皇の后に
  • 孫が 安徳天皇 として即位

これにより清盛は、

天皇の外戚(がいせき)

となり、
藤原氏と同じ「貴族政治のルート」に乗ります。


ステップ⑤ 武士として初めて政治の頂点へ

清盛はついに、

  • 太政大臣 に就任
  • 朝廷の最高位の官職を手に入れます。

これは、

武士が正式に政治のトップになった初めての瞬間

でした。

こうして清盛は、
平氏政権 を築き上げます。


平清盛の政権はどんな特徴があったのか

清盛の政権には、
それまでの政治と違う 新しさ がありました。


特徴① 武士と貴族の“いいとこ取り”

清盛は、

  • 武士としての実力
  • 貴族としての官位・人脈

の 両方を持つ存在 でした。

これにより、

武士政権の原型

とも言える政治が生まれます。


特徴② 経済に目を向けた政治

清盛は、
それまでの貴族には少なかった
経済感覚を持っていました。

  • 日宋貿易を活発化
  • 大輪田泊(神戸港)を整備
  • 平氏の財力を大きく強化

これにより、
武力+お金という新しい権力の形を作ります。


特徴③ 一族中心の政治

清盛は、
平氏一門を重要な役職に登用し、

平氏による政権独占

を進めました。

これは安定につながる一方で、
のちに 反発を生む原因 にもなります。


平清盛の政権確立で何が変わったのか


① 武士が本当に「政治の主役」になった

清盛以前、武士は

  • 戦う存在
  • 使われる存在

でした。

清盛以後、武士は

国を動かす存在

になります。


② 貴族政治の終わりが見えてきた

藤原氏中心だった政治は、
ここで決定的に揺らぎました。

  • 摂関政治の衰退
  • 院政の弱体化

が進み、
貴族だけの時代は終わりへ向かいます。


③ 鎌倉幕府への道が開かれた

清盛の政権は、
武士政権の“最初の形”でした。

その成功と失敗の両方が、

源頼朝による鎌倉幕府

へと引き継がれていきます。


【要点まとめ】清盛はこうして権力を握った

平清盛の成り上がり戦略

  • 院政下で武力を武器に存在感を高める
  • 保元の乱で勝者側に立つ
  • 平治の乱で最大のライバルを排除
  • 皇室との結びつきで政治中枢へ
  • 太政大臣となり政権を確立

歴史的に見る平清盛の意味

平清盛は、
単なる「権力者」ではありません。

日本史の流れで見ると、
武士が歴史の表舞台に立った最初の成功例
です。

もし清盛がいなければ、

  • 武士政権という発想
  • 幕府という仕組み

は、もっと遅れて生まれていたかもしれません。


よくある疑問

Q1. 清盛の政権は、なぜ長続きしなかったの?

A. 平氏一門中心の政治が反感を買い、地方武士の支持を失ったからです。

Q2. 清盛と源頼朝は、どう違うの?

A. 清盛は朝廷の中で政権を築き、頼朝は朝廷とは別の場所(鎌倉)に武士政権を作りました。


まとめ

平清盛の政権確立とは、

  • 武士が政治の中心に立ち
  • 貴族の時代を終わらせ
  • 新しい日本のかたちを示した

歴史の大きな転換点でした。

清盛がどのようにして権力を握ったのかを知ることで、
日本が

貴族の国から、武士の国へ

変わっていった流れが、
はっきりと見えてきます。

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