日本の歴史は、
室町時代から戦国時代にかけて、大きく姿を変えました。
それまで続いていた幕府の統治が揺らぎ、
全国で武将どうしが争う「戦国の世」へと進んでいきます。
「なぜ平和な時代から、争いの時代へ変わったのか?」
この記事では、
室町時代から戦国時代へ移り変わった理由を、
流れがつかめる形で整理します。
室町から戦国へ変わった理由がすぐわかるポイント
- 政治の中心だった幕府の力が弱まった
- 守護大名の支配が崩れた
- 応仁の乱で全国の秩序が壊れた
- 地方の武将が自立し、戦国大名が誕生した
室町時代とはどんな時代だったのか
室町時代(1336〜1573年)は、
足利将軍家による幕府政治の時代です。
- 京都に幕府が置かれる
- 守護大名が地方を支配
- 武士と朝廷が共存する政治
という形で、
比較的安定した統治が行われていました。
しかし、その安定は
しだいに揺らいでいきます。
戦国時代とはどんな時代か
戦国時代(15世紀後半〜16世紀)は、
全国の武将が自立して争う時代です。
- 将軍や幕府の命令が届かない
- 地方の武将が実力で領地を支配
- 合戦が日常になる
こうした状態は、
ある日突然生まれたわけではありません。
室町時代の後半に起きた変化が、
戦国時代への道をつくりました。
なぜ室町時代の秩序は崩れたのか
① 将軍の力が弱くなった
室町幕府の将軍は、
全国の武士をまとめる立場でしたが、
時代が進むにつれて
- 政治の実権を失う
- 有力大名に頼る政治になる
- 命令が守られなくなる
という状態になります。
将軍が弱くなると、
幕府全体の統治力も低下しました。
② 守護大名の支配がゆらいだ
地方では、
守護大名が国を治めていましたが、
- 家臣が力を持つ
- 領地争いが起こる
- 内部対立が激しくなる
ことで、
守護大名の支配が崩れていきます。
ここから
下克上(げこくじょう) が広がり、
立場の低い武将が実力でのし上がる時代になります。
③ 応仁の乱が決定打になった
1467年に始まった 応仁の乱 は、
室町幕府の後継争いから起きた内乱でした。
この戦いによって
- 京都が焼け野原になる
- 将軍の権威が失われる
- 守護大名の力も弱まる
という大きな混乱が生じます。
応仁の乱のあと、
日本には 秩序を保つ中心がなくなり、
地方の武将たちは
「自分の国は自分で守る」時代へ入っていきました。
戦国大名はこうして生まれた
地方の自立が進む
幕府の力が届かなくなると、
地方の武将たちは
- 独自に法律をつくる
- 税を集める
- 軍隊を持つ
というように、
一国の主のような存在になります。
これが 戦国大名 です。
彼らは単なる乱暴者ではなく、
国を守り、民を治める
新しいタイプの支配者でした。
室町から戦国への流れを整理
- 室町幕府の将軍の力が弱まる
- 守護大名の支配が不安定になる
- 応仁の乱で全国の秩序が崩れる
- 地方武将が自立する
- 戦国時代が始まる
この変化が日本史に与えた意味
① 中央集権から地方分権へ
室町時代までは、
幕府という「中心」がありましたが、
戦国時代は
地方が主役の時代になります。
② 実力主義の時代が生まれた
身分よりも
力と才能で評価される社会が広がり、
後の
- 織田信長
- 豊臣秀吉
- 徳川家康
のような人物が登場する土台となりました。
よくある疑問
室町時代はいつ終わったの?
1573年、
足利義昭が追放されたことで、
室町幕府は終わります。
戦国時代はいつから?
一般的には
応仁の乱後(15世紀後半) からとされます。
まとめ
室町時代から戦国時代への変化は、
単なる政権交代ではありません。
- 将軍の力の低下
- 守護大名の崩れ
- 応仁の乱による混乱
- 地方武将の自立
これらが重なり、
日本は 中央の時代から地方の時代へ 移りました。
この流れを知ることで、
なぜ戦国時代という激動の時代が生まれ、
そこから近世の日本へつながったのかが、
はっきり見えてきます。

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