戦国時代は、
「戦が多かった時代」というだけでは語れません。
秩序が崩れ、
新しいリーダーが現れ、
やがて再び安定した社会へ――
このページでは、
戦国時代の流れをつかむために重要な出来事を、時系列でわかりやすくまとめました。
教科書では触れられにくい、少しマニアックな視点も交えて解説します。
戦国時代のはじまり|秩序が崩れた瞬間
応仁の乱(1467〜1477年)
京都を舞台にした大規模内乱。
この戦いによって、室町幕府の権威は大きく失われました。
戦は終わっても政治の中心は定まらず、
全国で武士たちが自分の力で国を守る時代が始まります。
ここから、日本は本格的な「戦国」へ入っていきます。
山城国一揆(1485年)
京都南部で、地元武士たちが守護を追放。
武士による自治が行われた、戦国らしい事件です。
加賀一向一揆(1488年)
浄土真宗の門徒たちが武士を倒し、
百姓主体の政権が生まれました。
戦国時代は、武士だけでなく、
民衆の力も政治を動かした時代だったことがわかります。
戦国大名の誕生|実力で国を取る時代へ
明応の政変(1493年)
将軍が追放され、幕府の政治力は事実上消滅。
ここから本格的に戦国大名の時代が始まります。
北条早雲の台頭(1515年ごろ)
伊勢宗瑞(後の北条早雲)が相模を支配。
名門の血筋ではなく、実力で国を取った武将の代表例です。
寧波の乱(1523年)
中国・明で、日本の貿易使節同士が争った事件。
貿易は鉄砲や資金のもとであり、
海外でも戦国の争いが起きていました。
河越夜戦(1537年)
北条氏康が夜襲で大軍を撃破。
奇襲や情報戦が重視される、
戦国らしい戦い方が完成した戦です。
織田信長の時代|戦国の常識を壊した男
鉄砲伝来(1543年)
種子島に鉄砲が伝わり、戦のルールが一変。
個人の武勇よりも、組織と訓練が重視されるようになります。
桶狭間の戦い(1560年)
織田信長が今川義元を討ち取り、
一気に歴史の表舞台へ躍り出ます。
信長の上洛(1568年)
京都に入り、将軍を支えながら実権を掌握。
しかしこの頃、将軍はすでに名ばかりの存在でした。
比叡山焼き討ち(1571年)
僧兵勢力を徹底的に排除。
宗教であっても、政治の敵であれば容赦しない――
信長の「古い秩序を壊す姿勢」がよく表れた事件です。
長篠の戦い(1575年)
大量の鉄砲を使い、武田騎馬軍団を撃破。
ここから戦国は、近代的な戦争の時代へと進んでいきます。
豊臣秀吉の時代|戦国をまとめた天下人
本能寺の変(1582年)
信長が明智光秀に討たれる、戦国最大の事件。
その後の日本の流れを大きく変えました。
山崎の戦い(1582年)
羽柴秀吉が光秀を討ち、
「農民出身の天下人」への道を切り開きます。
賤ヶ岳の戦い(1583年)
若手武将たちが活躍し、
“七本槍”など、戦国のスターが生まれました。
四国・九州征伐(1585〜1587年)
地方の有力大名たちを次々に従え、
秀吉の全国支配が完成していきます。
刀狩令(1588年)
百姓から武器を取り上げ、
「戦う人」と「耕す人」を分ける政策。
これは戦を終わらせるための、
社会の仕組みそのものを変える改革でした。
小田原征伐(1590年)
北条氏を滅ぼし、
およそ100年続いた戦国の大争乱が、事実上終結します。
戦国の終わり|徳川の時代へ
文禄・慶長の役(1592〜1598年)
国内統一後の武力が海外へ向かう。
戦国のエネルギーが、まだ消えていなかったことを示します。
関ヶ原の戦い(1600年)
徳川家康が勝利し、天下を掌握。
ここで政治の主導権が完全に徳川へ移ります。
大坂夏の陣(1615年)
豊臣家が滅び、
戦国時代は完全に終わりを迎えました。
戦国時代の流れをひとことで
戦国時代とは――
秩序が壊れ、実力者が現れ、
そして再び安定した社会が生まれるまでの時代。
- 応仁の乱で「壊れ」
- 織田信長が「壊し切り」
- 豊臣秀吉が「まとめ」
- 徳川家康が「固定」した
この流れをつかむことで、
戦国時代は単なる合戦の連続ではなく、
日本社会が生まれ変わる大転換期だったことが見えてきます。

コメント