正中の変は後醍醐天皇が幕府討伐の最初の第一歩です。
後醍醐天皇は公家の日野俊基、日野資朝や武士の土岐頼員、多治見国長を味方につけ六波羅探題を襲撃する計画を立てます。
しかし、この六波羅探題襲撃計画は事前に幕府にバレてしまい失敗します
土岐頼員、多治見国長は死亡。日野俊基は証拠不十分として京都へ戻され、日野資朝は佐渡島へ流罪となりました。
後醍醐天皇は日野俊基、日野資朝は計画に関与していないと証言したため無罪でした。
しかし、後醍醐天皇がまた討幕を計画していると噂が広がりました。
鎌倉幕府執権の北条高時は噂の真相を確かめることにしました。すると噂は本当だということが判明します。
その結果、日野俊基、日野資朝は斬首刑に処されます。
さらに幕府は後醍醐天皇を島流しにすることを決定します。
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