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いざ戦国時代へ― 室町幕府の弱体化が「戦う時代」を呼び込んだ理由 ―

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導入|なぜ日本は戦国時代に突入したのか?

「戦国時代」と聞くと、
全国でいきなり合戦が始まった、荒れた時代というイメージを持つ方が多いかもしれません。

でも実は、戦国時代は突然始まったわけではありません
その前の室町時代に、少しずつ積み重なっていた“ズレ”が、
もう元に戻れなくなった結果として現れた時代なのです。

この記事では、
戦国時代を「暗記する時代」ではなく、
なぜそうなったのかが自然につながる物語として整理していきます。


全体の流れがわかる年表(地図としての年表)

※ここでは年号を覚える必要はありません。
「何が変わったのか」に注目してください。

時期出来事一言でいうと
1467年応仁の乱京都が壊れ、幕府の威信が崩れる
1477年応仁の乱終結でも何も解決していない
1485年山城国一揆武士も民も「自分たちで決める」
1493年明応の政変将軍が追い出される
1511年船岡山の戦い守護より実力の時代へ
1543年鉄砲伝来戦い方が根本から変わる
1568年織田信長、上洛戦国の主役が全国区へ
1573年室町幕府滅亡戦国時代が決定的に

この年表は、
「権威・権力・武力」がズレていく地図だと思ってください。


応仁の乱で何が壊れたのか

応仁の乱は、将軍家や有力大名同士の争いでした。
本来なら、将軍が止めるべき内輪もめです。

ところがこの戦いでは、
京都そのものが戦場になってしまいました。

これは、
「先生がいるのに、教室がめちゃくちゃになった」
ような状態です。

将軍という権威が、
もはや争いを止める力を持っていないことが、
誰の目にもはっきりしてしまったのです。


戦いが終わっても、何も戻らなかった理由

応仁の乱は終わりました。
でも、元の秩序は戻りませんでした。

なぜなら、

  • 将軍の言葉はもう重くない
  • 守護大名も力を失っている
  • ルールを守る理由がなくなった

からです。

これは、
ルールブックが燃えてしまった学校のようなものです。
誰も「正解」を示せなくなりました。


下からの反乱が当たり前になった時代(山城国一揆)

そんな中で起きたのが、山城国一揆です。

武士だけでなく、農民や寺社までが手を組み、
「自分たちで国を治めよう」と動き出しました。

これは、
「偉い人が決める時代」から
「力を持つ者が決める時代」への転換点
でした。


将軍すら追い出される時代へ(明応の政変)

ついには、将軍そのものが京都から追い出されます。

将軍という存在は、
「正しい」「偉い」という象徴でした。
それが通用しなくなったのです。

ここで、日本史の重要なズレが完成します。

  • 権威:将軍(正しさの象徴)
  • 権力:幕府という仕組み
  • 武力:実際に動かせる軍事力

この3つが、完全にバラバラになりました。


戦国大名はどうやって生まれたのか

こうして登場したのが、戦国大名です。

彼らは、

  • 血筋より実力
  • 肩書きより支配力
  • 命令より結果

を重視しました。

イメージとしては、
大企業がなくなり、小さな会社の社長が乱立した社会です。


鉄砲が戦国を「戻れない時代」にした

鉄砲の登場は、戦国を決定的にしました。

個人の強さより、
集団でどう使うかが重要になったからです。

これは、
スポーツが「素手」から「道具あり」に変わったようなもの。
もう昔のやり方には戻れません。


織田信長が示した「戦国の答え」

織田信長は、
この戦国の仕組みを最も理解していた人物でした。

  • 古い権威を気にしない
  • 無駄な慣習を切り捨てる
  • 武力と合理性を最優先する

信長は、
戦国という時代のルールに最適化した存在だったのです。


締め|戦国時代とは何だったのか

戦国時代は、ただの混乱期ではありません。

室町時代に崩れた秩序を、
新しい形で作り直すための時間でした。

この流れの先に、
日本をまとめる時代がやってきます。


最後の3行まとめ

室町幕府の弱体化が、戦国時代の入口だった。
権威・権力・武力のズレが、武士を自立させた。
戦国時代は、新しい秩序を生むための混乱だった。

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