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明治時代とは?日本が近代国家へ生まれ変わった45年

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明治時代とは|全4ページ

日本が近代国家へ
生まれ変わった45年

出来事をただ並べるのではなく、「なぜ起きたのか」「誰が動いたのか」「日本はどう変わったのか」を、4ページの年表でたどります。

はじめに|明治時代の流れをたどってみましょう

明治時代は、日本の国の仕組みも、人々の暮らしも大きく変わった時代です。

江戸幕府が終わり、藩がなくなり、学校や鉄道がつくられ、やがて憲法と議会を持つ国へと変わっていきました。しかし、その変化が一度に起きたわけではありません。新しい政治をめぐる争いがあり、改革に反発する人々がいて、外国との戦争や社会問題も起こりました。

このページでは、明治時代の45年間を4つの時期に分け、出来事がどのようにつながっていったのかを年表に沿って見ていきます。

まずは、江戸幕府が終わり、武士の時代が幕を閉じるまでの流れからたどってみましょう。

このページで考えること

幕府を倒した明治政府は、どうやって日本を一つの国にまとめたのでしょうか。

目次|明治時代を4つの時期で読む

  1. 明治時代を理解する3つの流れ
  2. 江戸時代から何が変わったのか
  3. 政府・士族・農民・欧米諸国の立場
  4. 1867〜1877年|江戸幕府の滅亡から武士の時代の終わりへ
  5. 1874〜1890年|政治参加と憲法を求める
  6. 1890〜1900年|議会政治と対外戦争
  7. 1900〜1912年|大国化と明治の終わり

明治時代を理解する3つの流れ

年表では、次の3つの流れが同時に進んでいく点に注目します。

1.武士の国から中央集権国家へ

幕府と藩をなくし、政府が全国を直接治める仕組みをつくります。

2.国民が政治参加を求める国へ

政府主導の改革に対し、国会や憲法を求める運動が広がります。

3.西洋列強と並ぶ国を目指す

条約改正と国防を進める一方、戦争と植民地支配へ向かいます。

江戸時代から何が変わったのか

明治初期の改革は、それぞれ独立した出来事ではありません。地域や身分ごとに分かれていた仕組みを、全国共通の制度へ組み替える改革でした。

比べる点江戸時代明治政府が目指した形
政治幕府と藩がそれぞれ領地を治める中央政府が府県を通して全国を治める
軍事武士が軍事を担う身分を問わず国民から兵士を集める
米を中心とした年貢土地の価格を基準に現金で納税する
身分武士・百姓・町人などの身分秩序四民平等を掲げ、法の上で身分差をなくしていく
教育藩校や寺子屋など地域ごとの教育全国共通の学校制度を整える

同じ改革でも、見え方は違っていた

明治政府にとって必要な改革でも、立場が変われば受け止め方も変わります。この違いが、その後の対立や反乱につながりました。

明治政府

欧米諸国に対抗できる国をつくるため、税・軍隊・地方制度を急いで統一しようとしました。

士族

政治変革を支えた者もいましたが、家禄や帯刀など武士の特権と生活基盤を失っていきました。

農民

身分制度から解放される一方、地租の現金納付や徴兵という新しい負担を担いました。

欧米諸国

日本と不平等条約を結び、貿易や外交で優位に立っていました。日本政府は対等な関係を目指します。

1867〜1877年|江戸幕府の滅亡から武士の時代の終わりへ

明治時代の入口を理解するため、江戸幕府が政治権力を失ったところから始めます。新政府の成立、内戦、中央集権化、武士の身分解体は、すべて「明治維新」という大きな変革の中でつながっています。

この年表を包む大きな流れ

明治維新

明治維新は一つの事件名ではありません。幕府政治の終了から新政府の成立、戊辰戦争、中央集権化、身分・軍事・税・教育の改革まで続いた政治・社会の大転換です。

幕府政治の終了新政府の成立戊辰戦争中央集権化武士の身分解体
1867
幕府政治の終幕時代の転換点

大政奉還——徳川慶喜が政権を朝廷へ返す

15代将軍徳川慶喜は、政治を行う権限を朝廷へ返すと申し出ました。ただし、この時点では徳川家の政治的影響力まで消えたわけではありません。

大政奉還を詳しく読む
1867
新政府の成立

王政復古の大号令——幕府を廃止して新政府をつくる

朝廷は幕府、摂政、関白などを廃止し、新しい政治体制の成立を宣言しました。徳川家を新政府から排除しようとする動きは、やがて武力衝突へ進みます。

王政復古の大号令を詳しく読む
1868
新政府の方針

五箇条の御誓文——新しい政治の原則を示す

新政府は、広く会議を開くことや、身分を越えて国の目的を実現することなどを掲げました。近代国家づくりへ向かう基本方針となります。

五箇条の御誓文を詳しく読む
1868–69
内戦時代の転換点

戊辰戦争——新政府が全国支配を固めた内戦

王政復古によって新政府が生まれましたが、旧幕府側との対立は内戦へ進みます。箱館戦争の終結により、新政府が全国を統治する基盤が整いました。

戊辰戦争を詳しく読む
1869
地方制度

版籍奉還——藩主が土地と人民を朝廷へ返す

藩主たちは領地と領民を朝廷へ返しました。ただし旧藩主が引き続き藩を治めたため、中央集権化はまだ途中でした。

版籍奉還を詳しく読む
1871
中央集権時代の転換点

廃藩置県——藩を廃止して府県を置く

政府は藩を廃止し、府県を置きました。旧藩主に代わって政府が任命した府知事・県令が地方を治め、全国を直接統治する体制へ進みます。

廃藩置県を詳しく読む
1871–73
海外視察

岩倉使節団——欧米から国づくりを学ぶ

岩倉具視、大久保利通、木戸孝允らが欧米を巡り、政治・産業・教育を調査しました。条約改正には成功しませんでしたが、帰国後の制度改革に大きな影響を与えます。使節団には5人の女子留学生も同行し、最年少の津田梅子はアメリカに残って学びました。

岩倉使節団を詳しく読む
1872
学校制度

学制発布——全国共通の学校制度を目指す

政府は全国共通の学校制度を目指しました。就学はすぐに広がったわけではなく、授業料や労働力の問題から反発も起きました。

学制発布を詳しく読む
1873
軍事制度

徴兵令——武士だけでなく国民が兵士になる

政府は身分にかかわらず兵役を課す制度を整えました。武士が軍事を担う仕組みから、国民を兵士として集める近代的な軍隊へ移る改革です。

徴兵令を詳しく読む
1873
税制度

地租改正——土地を基準に現金で税を納める

地価を基準に、土地所有者が現金で税を納める制度が整えられました。政府の安定した財源になる一方、米価が下がっても定額の税を納める農民には重い負担となりました。

地租改正を詳しく読む
1873
政府内対立

明治六年政変——征韓論をめぐって政府が分裂する

朝鮮への使節派遣を主張した西郷隆盛らと、国内改革を優先する大久保利通らが対立しました。西郷や板垣退助らは政府を去ります。

明治六年政変を詳しく読む
1874
士族反乱

佐賀の乱——政府を去った江藤新平と士族の反乱

明治六年政変後、佐賀では征韓論を支持する士族と政府への不満を持つ士族が蜂起しました。政府軍に短期間で鎮圧され、江藤新平は処刑されます。

佐賀の乱を詳しく読む
1876
各地の士族反乱

神風連の乱・秋月の乱・萩の乱——反発が各地へ広がる

廃刀令や秩禄処分が進むなか、熊本・福岡・山口で士族反乱が相次ぎました。反乱は鎮圧されましたが、翌年にはさらに大きな戦いが起こります。

1876年の士族反乱を詳しく読む
1877
最大の士族反乱時代の転換点

西南戦争——武士が武力で政治を動かす時代が終わる

西郷隆盛を中心とする鹿児島の士族が政府軍と戦いました。徴兵制でつくられた政府軍が勝利し、大規模な士族反乱は終息へ向かいます。

西南戦争を詳しく読む
第1章のまとめ|江戸幕府の滅亡から、武士の時代の終わりへ江戸幕府が消滅したあと、明治政府は藩・軍隊・税・学校を全国共通の制度へ組み替えました。また、殖産興業を進め、鉄道や官営事業を通じて近代産業の土台を整えます。しかし急速な改革は士族の仕事と特権を奪い、農民にも新しい負担を課します。その不満は士族反乱へ向かい、西南戦争を最後に、武士が武力で政治を動かす時代は終わりました。木戸孝允・西郷隆盛・大久保利通がそれぞれ別の最期を迎え、政府の中心が次の世代へ移る過程は、「維新の三傑の最期」で詳しくたどれます。次に始まるのは、言論と議会によって政治を動かそうとする時代です。
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