1876年(明治9年)。
わずか数か月の間に、各地で士族の反乱が相次ぎました。
熊本の神風連の乱、福岡の秋月の乱、そして山口の萩の乱です。
いずれも短期間で鎮圧されましたが、
この年に積み重なった士族の不満は、翌年の西南戦争へとつながっていきます。
廃刀令と秩禄処分 士族の特権が失われる
明治政府は、近代国家の建設を進めるなかで、
武士という身分に与えられてきた特権を、次々と取り除いていきました。
1876年には、帯刀を禁じる廃刀令と、
士族への俸禄(給与)を打ち切る秩禄処分が行われます。
刀を差すことも、収入を保証されることもなくなった士族たちの間には、
政府への強い不満が広がっていました。
神風連の乱 熊本で最初に起きた反乱
1876年10月、熊本では太田黒伴雄らを中心とする神風連が反乱を起こします。
神道への強い信仰と、西洋化を進める近代化政策への反発を背景に、
熊本鎮台(政府の軍事拠点)を襲撃しましたが、まもなく鎮圧されました。
秋月の乱と萩の乱 反乱が各地へ連鎖する
神風連の乱に呼応するように、福岡県秋月でも士族が蜂起します(秋月の乱)。
さらに山口県萩では、前原一誠を中心とする士族が反乱を起こしました(萩の乱)。
前原一誠は、かつて明治維新を支えた長州藩出身の功臣の一人でした。
その人物が、自らの手で作り上げた新政府に対して反乱を起こしたという事実は、
この時代の士族が抱えていた矛盾の深さを物語っています。
これらの反乱も、いずれも地域ごとに政府軍によって鎮圧されました。
翌年の西南戦争へ
1876年に相次いだこれらの反乱は、いずれも短期間で終わりました。
しかし、士族の不満そのものが解消されたわけではありませんでした。
この翌年の1877年、鹿児島では西郷隆盛を中心とする、
最大規模の士族反乱である西南戦争が起こります。
維新を支えた武士たちが、次々と新政府に反旗を翻したこの時期は、
武士という身分そのものが、時代のなかで役割を終えていく過程でもありました。
ひこまるとやたまるで理解するポイント
ひこまるなぜ1876年に士族の反乱が続けて起きたの?



廃刀令や秩禄処分などで、士族の身分や生活、誇りが大きく揺らいだからなんじゃ。



三つの反乱は、すべて同じ目的だったの?



不満の背景には共通点があるが、地域ごとの事情や参加者の考えは同じではないぞ。ひとまとめにしすぎないことが大切じゃ。
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出典:山村竜也『世界一よくわかる幕末維新』祥伝社、2018年、250〜261頁。



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