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明治維新とは|武士の国が終わり、近代国家が始まった転換点

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明治維新めいじいしんとは、江戸幕府を中心とする武士の政治が終わり、天皇を中心とする新政府が近代国家の仕組みをつくっていった一連の変化です。

始まりを一つの年に決めることはできません。1853年の黒船来航から政治の前提が揺れ始め、大政奉還たいせいほうかん王政復古おうせいふっこ戊辰戦争ぼしんせんそうを経て幕府が消滅します。その後も版籍奉還はんせきほうかん廃藩置県はいはんちけんによる藩の廃止、士族反乱しぞくはんらん西南戦争せいなんせんそうまで、社会の仕組みは大きく変わり続けました。

つまり明治維新は、一夜で国が入れ替わった出来事ではありません。

外国の接近をきっかけに、幕府・朝廷・諸藩が国の進路を争い、協力と対立を繰り返しながら、日本の政治・軍事・身分制度を組み替えた長い転換でした。

この記事でわかること

知りたいことこの記事でつかめる答え
明治維新とは何か幕府と藩による政治から、中央政府が全国を治める国家へ変わった過程
なぜ江戸幕府は消滅したのか外圧への対応で国内が分裂し、幕府が朝廷と諸藩をまとめる力を失ったため
誰が動かしたのか幕府・朝廷・薩摩・長州・土佐・会津など、異なる立場の人々
何が変わったのか政治、地方統治、軍隊、税、身分、武士の役割
どう読めば流れがわかるか黒船来航から西南戦争までを全6編で順番にたどる

なぜ江戸幕府は消滅したのか

江戸幕府は、黒船が来たからすぐに倒れたわけではありません。

幕府の消滅には、三つの流れが重なっていました。

外からの圧力

19世紀、欧米諸国はアジアへの進出を強めました。アメリカのペリーは日本へ来航し、船への補給や外交関係を求めます。

幕府は戦争を避けながら開国へ進みました。しかし条約締結は国内の反発を招き、幕府の外交判断が厳しく問われるようになります。

国内の政治対立

幕府が朝廷へ条約の許可を求めたことで、外交問題は「誰が国の方針を決めるのか」という政治問題へ変わりました。

朝廷、有力藩、志士が国政へ関わり、将軍継嗣問題しょうぐんけいしもんだい安政の大獄あんせいのたいごく、京都政局を通して対立が激しくなります。幕府だけが政治を決める仕組みは崩れていきました。

政治と軍事の決着

外国との戦いから現実を学んだ薩摩藩と長州藩は、軍制を改革し、幕府に対抗する勢力へ変わります。

徳川慶喜は大政奉還によって政権を朝廷へ返しました。しかし徳川家の領地と軍事力は残り、新政府内での扱いをめぐって鳥羽・伏見とば・ふしみの戦いが起きます。

王政復古で幕府という制度が廃止され、戊辰戦争で旧幕府勢力が敗れたことで、幕府の終わりは政治と軍事の両面で確定しました。

外国が幕府を倒したのか

外国の圧力は、幕府が揺らぐ大きなきっかけでした。しかし、外国が日本国内の勢力を自由に操り、幕府を倒したと考えるのは単純すぎます。

主な人物・行動
アメリカペリーとハリスが補給、外交関係、通商を求めた
イギリスパークスらが通商と在留民の安全を重視し、幕府・諸藩と交渉した
フランスロッシュらが幕府と関係を深め、軍制改革を支援した
ロシアプチャーチンらが通商と国境をめぐる交渉を進めた
オランダ海外情報や海軍技術の伝達にも関わった

外国との関係をどう結ぶかをめぐって、日本国内の対立が深まりました。その対立をまとめられず、代わりの政治構想と軍事力を持つ勢力が生まれたことが、幕府消滅へつながったのです。

明治維新の流れを一つの年表で見る

出来事何が変わったのか
1853年ペリー来航幕府が日本全体の外交・国防判断を迫られた
1854年日米和親条約開国への転換が始まった
1858年日米修好通商条約・安政の大獄条約と将軍継嗣をめぐる国内対立が激化した
1863年八月十八日の政変長州藩が京都政局から追放された
1864年禁門の変・第一次長州征討長州藩が朝敵となり、最大の危機を迎えた
1866年薩長同盟さっちょうどうめい・第二次長州征伐薩長が協力し、幕府の統率力低下が明らかになった
1867年大政奉還・王政復古政権が返され、幕府と将軍職が廃止された
1868〜1869年戊辰戦争新政府が旧幕府勢力を破り、軍事的に全国を統一した
1869年版籍奉還藩主が土地と人民を朝廷へ返した
1871年廃藩置県藩を廃止し、政府が府県を通して地方を治め始めた
1873年明治六年政変新政府をつくった人々が国の進路をめぐって分裂した
1874〜1877年士族反乱・西南戦争武士が武力で政治を動かす時代が終わった

明治維新を全6編で読む

この先は、一つひとつの転換点を人物の選択とともにたどります。順番に読めば、黒船来航から武士の時代の終わりまでが一続きの物語として理解できます。

第1編|黒船来航と幕府の動揺

アメリカはなぜ日本へ来たのか。幕府はなぜ諸大名と朝廷を政治へ関わらせたのか。開国が幕府政治の前提を崩すまでをたどります。

第1編を読む|黒船来航と幕府の動揺 →

第2編|京都政局と長州藩の逆転

京都を追放され朝敵となった長州藩は、なぜ倒幕の中心勢力へ変われたのか。政変、敗北、功山寺こうざんじ挙兵、薩長同盟をつなげます。

第2編を読む|京都政局と長州藩の逆転 →

第3編|大政奉還と江戸幕府の消滅

徳川慶喜はなぜ政権を返し、それでも戦争は避けられなかったのか。大政奉還、王政復古、鳥羽・伏見の戦いから幕府消滅を考えます。

第3編を読む|大政奉還と江戸幕府の消滅 →

第4編|戊辰戦争と国内統一

江戸城が明け渡されたあとも、なぜ戦争は東北・箱館まで続いたのか。旧幕府側の忠義と地域事情、新政府による統一をたどります。

第4編を読む|戊辰戦争と国内統一 →

第5編|版籍奉還と廃藩置県

新政府はなぜ、自らを支えた薩摩や長州の藩まで廃止したのか。諸藩の連合から中央集権国家へ変わる過程を見ていきます。

第5編を読む|版籍奉還と廃藩置県 →

第6編|士族反乱と武士の時代の終わり

維新を進めた武士たちは、なぜ自分たちがつくった政府と戦ったのか。明治六年政変から西南戦争までをたどります。

第6編を読む|士族反乱と武士の時代の終わり →

明治維新で変わったもの、残ったもの

変わったもの残ったもの・引き継がれたもの
江戸幕府と藩による政治江戸時代に育った教育・経済・人材
武士の政治的・軍事的特権旧武士層が官僚・軍人・教師などとして担った役割
藩ごとの軍隊と税制地域社会と旧藩のつながり
幕府が外交を担う仕組み外国から学びながら日本を守ろうとする問題意識

明治維新は、江戸時代をすべて否定して一から作り直した改革ではありません。

江戸時代に蓄えられた知識、人材、経済、地域社会を、新しい国家制度へ組み替える過程でもありました。

まとめ|明治維新は、異なる未来を選んだ人々の長い物語

明治維新は、一人の英雄が成し遂げた革命でも、外国の力だけで幕府が倒れた出来事でもありません。

幕府は戦争を避けながら開国へ進み、朝廷と諸藩は国の進路へ関わりました。薩摩と長州も、最初から答えを知っていたわけではありません。外国との戦い、京都での対立、藩内の失敗から学び、方針を変えていきました。

大政奉還と王政復古で政治の枠組みが変わり、戊辰戦争で軍事的な決着がつきます。さらに版籍奉還と廃藩置県で藩が消え、西南戦争を最後に武士が武力で政治を動かす時代も終わりました。

明治維新を知ることは、年号を覚えることだけではありません。

未来が見えない時代に、人々が何を守り、何を変え、どのような国を次の世代へ渡そうとしたのかを考える入口でもあります。

維新後の憲法、議会、産業、外交まで含む明治45年の流れは、明治時代まとめで続けて読めます。

明治時代とは?日本が近代国家へ生まれ変わった45年 →

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