1868年4月、江戸城は大規模な戦闘をせず、新政府軍へ明け渡されました。
人口の集中する江戸は戦火を免れます。しかし、戦争は終わりませんでした。上野、北越、会津、そして箱館へ。戦場は北へ移りながら、翌年まで続きます。
なぜ、将軍が恭順し江戸城も渡されたのに、旧幕府側の人々は戦い続けたのでしょうか。
第4編では、江戸無血開城から上野戦争、奥羽越列藩同盟、北越戦争、会津戦争、箱館戦争までをたどります。戊辰戦争は、新政府が勝った戦争であると同時に、それぞれの忠義、地域の事情、新しい政府への不信が衝突した内戦でした。
この編でわかること
| 問い | この記事でたどる答え |
|---|---|
| なぜ江戸総攻撃を回避できたのか | 勝海舟と西郷隆盛が、徳川家の処分と住民保護を交渉したため |
| なぜ彰義隊は戦ったのか | 徳川家への忠義と新政府への反発を捨てられなかったため |
| なぜ東北諸藩は同盟したのか | 会津藩への寛大な処分を求める交渉が決裂したため |
| なぜ会津藩は攻撃されたのか | 京都守護職として長州藩と敵対し、旧幕府側の中心と見られたため |
| なぜ戦争は箱館まで続いたのか | 榎本武揚らが旧幕臣の新天地と政治的な存続を求めたため |
第1章|江戸を焼くのか、残すのか
鳥羽・伏見で勝利した新政府軍は、東海道・東山道・北陸道から東へ進みました。徳川慶喜は江戸へ戻り、上野寛永寺で恭順します。
それでも新政府は、江戸城総攻撃の日を1868年3月15日と定めました。
江戸には多くの住民が暮らしています。市街戦になれば、兵士だけでなく町人にも甚大な被害が出ます。さらに外国人居留地や通商への影響も避けられません。
旧幕府側の勝海舟は、徳川家の存続と江戸の住民を守るため、新政府側との交渉へ動きました。
第2章|江戸無血開城――勝海舟と西郷隆盛の交渉
勝海舟と新政府軍の西郷隆盛は会談し、江戸城の明け渡しや武器の扱い、徳川慶喜の処分などを話し合いました。
西郷にとっても、巨大都市を焼き、多数の死傷者を出すことは、新政府への反発と外国からの不信を招く危険があります。双方に戦闘を避ける理由がありました。
総攻撃は中止され、4月11日に江戸城が引き渡されます。
関係人物: 勝海舟/西郷隆盛/徳川慶喜/山岡鉄舟
無血開城とは、戊辰戦争全体が無血で終わったという意味ではありません。江戸城をめぐる大規模戦闘を避けられたということです。
第3章|上野戦争――徳川家への忠義は消えなかった
江戸城が明け渡されても、すべての旧幕臣が新政府を受け入れたわけではありません。
彰義隊は徳川慶喜の警護などを目的に結成され、上野寛永寺を拠点としました。隊には徳川家への忠義を重んじる者、新政府に反発する者、行き場を失った旧幕臣らが集まります。
1868年5月、新政府軍は上野を攻撃しました。大村益次郎は各部隊を配置し、アームストロング砲などの火力も用います。彰義隊は短時間で敗れ、旧幕府側の抵抗は関東から東北へ移りました。
関係人物: 大村益次郎/渋沢成一郎/天野八郎
第4章|東北諸藩は、最初から戦争を望んだのか
新政府は、京都守護職として長州藩と戦った会津藩を強く敵視しました。
東北諸藩は、会津藩が謝罪して恭順することで寛大な処分を得ようと仲介します。仙台藩や米沢藩を中心に嘆願を重ねましたが、会津側が受け入れられる条件と新政府側の要求は折り合いませんでした。
さらに新政府の奥羽鎮撫総督府への反発や事件が重なり、仲介のための協力関係は軍事同盟へ変化します。奥羽越列藩同盟です。
関係人物: 松平容保/伊達慶邦/上杉斉憲/世良修蔵
同盟諸藩の事情は一つではありません。会津を救いたい藩、新政府の強硬策に反発する藩、地域の自立を守りたい藩がありました。だからこそ、戦争目的と指揮を最後まで統一することも困難でした。
第5章|北越戦争――中立を求めた長岡藩の選択
越後の長岡藩家老・河井継之助は、藩の軍備を近代化しながら、新政府と旧幕府のどちらにも属さない中立を目指しました。
小千谷会談で河井は新政府軍と交渉します。しかし、会津への嘆願を取り次いでほしいという申し出は受け入れられず、会談は決裂しました。
長岡藩は戦争へ入り、長岡城を一度失ったあと奪回します。しかし兵力と補給で勝る新政府軍に押され、河井も負傷。長岡藩は敗れました。
関係人物: 河井継之助/山県有朋/黒田清隆
河井が望んだのは、必ずしも旧幕府の復活ではありませんでした。それでも中立が認められなかったとき、藩と地域を守るために武力を選びます。内戦では、「どちらにもつかない」という選択さえ難しかったのです。
第6章|会津戦争――京都での役割が故郷を戦場にする
会津藩主・松平容保は京都守護職として、幕府と朝廷の秩序を守ろうとしました。その任務の中で長州藩や尊王攘夷派を取り締まり、薩摩・長州中心の新政府から敵視されます。
新政府軍は会津盆地へ入り、鶴ヶ城を包囲しました。会津藩は藩士だけでなく少年や女性を含む地域社会全体を動員して抵抗します。
白虎隊の悲劇や、山本八重が銃を取って戦った逸話は、この戦争が城内の武士だけの戦いではなかったことを伝えています。ただし個々の最期については、後世の物語と確認できる史実を分けて見る必要があります。
1868年9月、会津藩は降伏しました。
関係人物: 松平容保/西郷頼母/山本八重/板垣退助
第7章|旧幕府艦隊が北へ向かう
江戸開城後、旧幕府海軍を率いる榎本武揚は、艦隊を新政府へすべて引き渡さず、旧幕臣らと北へ向かいました。
彼らは蝦夷地を開拓し、行き場を失った旧幕臣を移住させる構想を持っていました。単に幕府を元へ戻すだけでなく、新しい土地で自分たちの役割を確保しようとしたのです。
榎本軍は箱館の五稜郭を占拠し、入札によって役職を選ぶ政権をつくりました。しかし、新政府がその統治を国家として認めたわけではありません。
第8章|箱館戦争――最後の抵抗が終わる
1869年、新政府軍は蝦夷地へ上陸しました。
旧幕府軍は海軍力を十分に生かせず、各地で後退します。土方歳三は箱館で戦死しました。新政府軍参謀の黒田清隆は、榎本武揚へ降伏を勧めます。
榎本は部下の命と資料を守るため降伏を決断し、五稜郭が開城しました。戊辰戦争は終結します。
関係人物: 榎本武揚/土方歳三/黒田清隆
なぜ戦争は一年半も続いたのか
| 場所 | 戦った理由と争点 |
|---|---|
| 江戸 | 徳川家の処分と巨大都市の安全 |
| 上野 | 徳川家への忠義と旧幕臣の行き場 |
| 東北 | 会津処分への反発と地域の自立 |
| 北越 | 中立交渉の決裂と長岡藩の存続 |
| 会津 | 京都守護職としての責任と藩の名誉 |
| 箱館 | 旧幕臣の新天地と政治的存続 |
旧幕府側は、同じ目的で一つにまとまっていたわけではありません。
幕府を復活させたい者、徳川家への忠義を守る者、会津への処分に反対する者、藩の中立を守る者、旧幕臣の新天地を求める者がいました。
戊辰戦争が長引いたのは、それぞれの地域と人々に、江戸開城だけでは解決しない問題が残っていたからです。
第4編で分かったこと
- 勝海舟と西郷隆盛の交渉により、江戸城総攻撃と大規模な市街戦は回避された
- 江戸無血開城後も、彰義隊など徳川家への忠義を持つ旧幕臣が抵抗した
- 東北諸藩の仲介は、会津処分をめぐる対立から奥羽越列藩同盟へ変わった
- 長岡藩は中立交渉の決裂後に戦争へ入り、会津藩は地域社会を巻き込んで籠城した
- 榎本武揚らは旧幕臣の新天地を求めて蝦夷地へ渡った
- 箱館戦争の終結によって、新政府へ組織的に抵抗する旧幕府軍は消滅した
まとめ|新政府の全国支配は、各地の選択と犠牲の上に成立した
江戸無血開城は、多くの住民を戦火から救いました。しかし、それだけで旧幕府側の忠義、地域の事情、新政府への不信が消えたわけではありません。
戊辰戦争は、単純な「新しい勢力と古い勢力」の戦いではありませんでした。内戦を避けようと交渉した人もいれば、藩と仲間を守るため戦いを選んだ人もいます。
箱館戦争が終わり、新政府は軍事的に全国を統一しました。
けれど、勝った政府が全国の土地・税・軍隊を直接動かせたわけではありません。地方には今も藩が残っています。
第5編では、版籍奉還と廃藩置県をたどり、なぜ新政府は勝利したあと、自らを支えた藩まで廃止したのかを見ていきます。

コメント