箱館戦争によって、幕末から続いた戊辰戦争は終結しました。この戦いは1868年(明治元年)から1869年、榎本武揚が率いる旧幕府勢力が蝦夷地を占領し、新政府軍と戦った戊辰戦争最後の戦いです。榎本らは徳川家臣を蝦夷地に移住させる構想を持ち、旧幕府海軍を基盤に抵抗しました。
しかし主力艦を失い、海と陸から攻める新政府軍に追い詰められます。土方歳三らが戦死し、五稜郭が降伏したことで、1年半に及んだ戊辰戦争は終結しました。
箱館戦争をひとことでいうと
| 観点 | 内容 |
|---|---|
| いつ | 1868年10月〜1869年5月 |
| どこ | 蝦夷地・箱館、五稜郭周辺 |
| 旧幕府側 | 榎本武揚、土方歳三、大鳥圭介ら |
| 新政府側 | 黒田清隆らが率いる新政府軍 |
| 結果 | 五稜郭が降伏し、戊辰戦争が終結 |
榎本武揚はなぜ蝦夷地へ向かったのか
榎本武揚は旧幕府海軍の軍艦を率い、江戸開城後も新政府への引き渡しに応じませんでした。旧幕臣たちを救済するため、蝦夷地を開拓し、徳川家臣が生活できる土地を得ようと考えます。
榎本艦隊には大鳥圭介、土方歳三ら旧幕府勢力が合流しました。彼らは蝦夷地へ渡り、箱館の五稜郭を占領します。諸役職を投票で選ぶ仕組みも採用され、榎本が総裁となりました。
旧幕府軍はどのような体制を作ったのか
| 役職 | 人物 |
|---|---|
| 総裁 | 榎本武揚 |
| 副総裁 | 松平太郎 |
| 海軍奉行 | 荒井郁之助 |
| 陸軍奉行 | 大鳥圭介 |
| 陸軍奉行並 | 土方歳三 |
この体制は一般に「蝦夷共和国」と呼ばれることがありますが、近代的な独立国家として確立したわけではありません。旧幕臣の集団が蝦夷地を拠点に、新政府へ徳川家臣の救済を求めながら軍事・行政組織を作ったものです。
なぜ旧幕府軍は敗れたのか
海軍力の優位を失った
榎本軍の強みは軍艦でした。しかし暴風雨などで艦船を失い、新政府が強力な装甲艦を加えると海上の優位が崩れます。宮古湾で新政府艦を奪おうとした作戦も失敗しました。
新政府軍が海と陸から攻めた
新政府軍は1869年4月に蝦夷地へ上陸し、各方面から箱館へ進みました。旧幕府軍は防衛線を縮めながら抵抗しましたが、兵力・装備・補給の差を覆せませんでした。
指揮官を失った
土方歳三は箱館市街へ向かう戦闘のなかで銃弾を受けて戦死しました。中島三郎助らも戦死し、五稜郭の守備側は戦いを続ける力を失っていきます。
榎本武揚はなぜ降伏したのか
新政府軍が五稜郭を包囲し、勝敗は明らかになりました。榎本は部下の命と、オランダ留学で得た知識をまとめた書物を失わせないようにしながら、降伏交渉へ進みます。
1869年5月18日、五稜郭は降伏しました。榎本は投獄されましたが、後に新政府へ登用されます。新政府もまた、旧幕府が育てた人材と知識を新しい国家建設に必要としていたのです。
箱館戦争が持つ意味
箱館戦争の終結によって、国内で新政府に組織的に抵抗する大きな旧幕府勢力はなくなりました。幕府という政治制度の消滅から、武力による全国統一までには時間が必要だったことが分かります。
同時に、榎本武揚が後に新政府で働いた事実は、勝者が敗者をすべて排除したのではなく、能力を取り込んで明治国家を作った一面を示します。
まとめ
箱館戦争は、榎本武揚が旧幕府海軍と徳川家臣を率いて蝦夷地へ渡り、新政府に最後まで抵抗した戦いです。土方歳三らは戦い続けましたが、海軍力、兵力、補給の差によって敗れました。
五稜郭の降伏で戊辰戦争は終わり、新政府は全国を統一する段階へ進みます。次の課題は、藩を残したままの国をどう一つの政府へまとめるかでした。

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