幕末– tag –
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人物
吉田松陰と松下村塾|なぜ小さな私塾から維新の志士が育ったのか
吉田松陰は、長州藩の兵学者・教育者であり、松下村塾を通して幕末の若者たちに大きな影響を与えた人物です。 松陰が後世に残した最大のものは、完成した政治制度ではありません。身分や年齢だけで人を判断せず、一人ひとりの長所を見つけ、学んだことを行... -
出来事
将軍継嗣問題とは?なぜ次の将軍選びが幕府を分裂させたのか
将軍継嗣問題とは、13代将軍・徳川家定の後継者を誰にするかをめぐり、紀州藩の徳川慶福を推す南紀派と、一橋慶喜を推す一橋派が対立した政治問題です。 単なる後継者争いではありません。外国との条約交渉が迫るなかで、「従来の秩序を守るのか」「能力と... -
思想・価値観
尊王攘夷とは?なぜ幕末に広がり、倒幕へつながったのか
尊王攘夷とは、天皇を尊ぶ「尊王」と、外国勢力を退ける「攘夷」が結びついた幕末の思想・政治運動です。 ただし、尊王攘夷を最初から「幕府を倒す思想」だったと考えると、幕末の流れを見誤ります。尊王論は江戸時代の学問や政治思想のなかで育ち、攘夷論... -
出来事
戊辰戦争と国内統一|なぜ江戸開城後も戦いは箱館まで続いたのか【明治維新・第4編】
1868年4月、江戸城は大規模な戦闘をせず、新政府軍へ明け渡されました。 人口の集中する江戸は戦火を免れます。しかし、戦争は終わりませんでした。上野、北越、会津、そして箱館へ。戦場は北へ移りながら、翌年まで続きます。 なぜ、将軍が恭順をたどり、... -
出来事
大政奉還と江戸幕府の消滅|政権を返したのになぜ戦争になったのか【明治維新・第3編】
1867年10月、徳川慶喜は政権を朝廷へ返すと申し出ました。大政奉還旧幕府勢力が政権を取り戻す軍事的可能性 幕府の消滅は、一日の出来事ではありません。 政権を返し、制度が廃止され、戦いに敗れ、旧幕府勢力の抵抗が終わる。政治と軍事の両面で、段階的... -
出来事
京都政局と長州藩の逆転|追放された長州藩はなぜ倒幕勢力へ変わったのか【明治維新・第2編】
1863年、政治の主導権をめぐる争いの舞台は、将軍のいる江戸から天皇のいる京都へ移っていました。 朝廷への影響力を強めていたのは、長州藩と急進的な尊王攘夷/西郷隆盛 第二次長州征伐を詳しく読む → 敗北の意味は、軍事上の失敗だけではありません。 ... -
出来事
薩長同盟とは?なぜ敵対していた薩摩藩と長州藩は手を結んだのか
薩長同盟とは、簡単にいえば1866年(慶応2年)1月、薩摩藩と長州藩が、幕府による長州処分へ共同で備えるために結んだ政治的な協力関係です。 両藩は禁門の変で敵同士でした。しかし長州藩は武器と政治的支援を必要とし、薩摩藩は幕府だけに国政を任せられ... -
出来事
池田屋事件とは?新選組はなぜ尊王攘夷派を襲撃したのか
池田屋事件をひとことで表すと、1864年(元治元年)6月5日、京都の治安を守る新選組が旅館・池田屋を襲撃し、長州藩系を中心とする尊王攘夷派の志士を殺傷・捕縛した事件です。 事件は新選組の名を広く知らしめる一方、京都から追放されていた長州藩を刺激... -
出来事
八月十八日の政変とは?なぜ長州藩と尊王攘夷派は京都から追放されたのか
この政変の核心は、急進的な尊王攘夷派と長州藩が主導していた京都の政治を、薩摩藩・会津藩と公武合体派の公家がひっくり返した政変です。 1863年(文久3年)8月18日、長州藩は京都御所の警備から外され、尊王攘夷派の公家七人も京都を去りました。この出... -
思想・価値観
幕末・明治時代、武士はどのように消えたのか?――士族の解体と『武士道』の再発見
幕藩体制の解体、士族という新しい身分の成立、秩禄処分・廃刀令による特権喪失という、制度としての武士の消滅過程を史料と研究にもとづいて整理します。武士がいなくなったあとに『武士道』が語られ始めたという時間的な順序にも注目します。
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