1905年(明治38年)1月5日。
旅順近郊の水師営で、
勝者と敗者、二人の将軍が向かい合いました。
日本の乃木希典大将と、
ロシアのステッセル将軍です。
この「水師営の会見」は、のちに国語教科書にも取り上げられ、
長く語り継がれる出来事となりました。
旅順攻略戦の末に
日露戦争における旅順攻略戦は、多大な犠牲を払った激しい戦いでした。
乃木希典が指揮する日本軍は、多くの将兵を失いながら、要塞を攻略します。
ロシア軍を率いていたステッセル将軍は降伏を決断し、
旅順近郊の水師営で、乃木との会見が行われました。
敗者への礼を尽くした会見
この会見で、乃木希典は敗れたステッセル将軍に対し、丁重な礼を尽くしたと伝えられています。
会見の様子が諸外国の新聞で報じられることを踏まえ、ステッセルの体面を保つよう配慮したとも言われ、
写真撮影の際にはステッセルの帯剣を認めるなど、敗軍の将としての名誉を守る対応がとられました。
また、乃木とステッセルはともに、この戦争で息子を戦死させていました。
敵味方を超えて、互いに深い犠牲を払った者どうしという共通点もありました。
教科書に残された物語として
この会見の様子は、のちに国語教科書に取り上げられ、
戦前の学校で広く教えられました。
敵将を辱めず、礼を尽くして遇する。
この逸話は、武士道の精神を体現した出来事として、長く語り継がれることになります。
ただし、教材として伝えられた逸話には、当時の教育上の意図による脚色や強調が含まれている可能性もあります。
史実としての細部は、公的な戦史資料でさらに確認することが望まれます。
乃木希典という人物と重ねて
この会見で敗者への礼を尽くした乃木希典は、
のちに明治天皇の崩御に際して殉死したことでも知られています。
乃木希典の殉死と明治神宮の造営とは?明治天皇に殉じた軍人の生涯
勝っても驕らず、敗者の名誉を守る。
水師営での振る舞いは、乃木希典という人物の生き方を象徴する出来事として、記憶されています。
ひこまるとやたまるで理解するポイント
ひこまる乃木希典は、なぜ敗れた敵将に礼を尽くしたの?



勝者が敗者を辱めず、その名誉に配慮することを重んじたと伝えられているんじゃ。



教科書に載った話は、すべてそのまま史実なの?



教材では価値観を伝えるために強調された部分もありうるぞ。確認できる出来事と、後世の物語化を分けて読むことが大切じゃ。
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出典:日下公人『いま日本人に読ませたい「戦前の教科書」』(p.24〜33の教材紹介)ほか。



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