MENU
記事を探す

明治時代とは?日本が近代国家へ生まれ変わった45年

当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。

明治時代とは|第3章

議会政治と対外戦争

憲法と議会を持つ近代国家になった日本は、不平等条約の改正と東アジアでの立場をめぐり、外交と戦争の時代へ進みます。

このページで考えること

憲法と議会を持った日本は、なぜ国内の近代化を進めながら、対外戦争へ向かったのでしょうか。

このページの内容

  1. 国内政治と国際関係——二つの流れ
  2. 教育勅語と国民教育
  3. 大津事件と司法権
  4. 条約改正
  5. 日清戦争・下関条約・三国干渉
  6. 産業化・文学・社会問題
  7. 義和団事件と列国協調
  8. 発展の成果と社会のひずみ

国内政治と国際関係——二つの流れ

この時期は、国内で憲法政治が動き始める一方、国外では条約改正と朝鮮をめぐる競争が進みます。二つの流れは別々ではなく、「欧米から近代国家と認められたい」という目標で結びついていました。

この年表を包む大きな流れ

近代国家の運用と列強への接近

憲法や議会をつくる段階から、制度を実際に動かす段階へ入りました。同時に日本は、不平等条約の改正と東アジアでの影響力拡大を進め、列強の一員として認められることを目指します。

議会政治条約改正日清戦争産業化列強との協調
国内|近代国家の制度を動かす
  1. 帝国議会が始まる
  2. 政府と政党が予算をめぐって対立する
  3. 教育・司法・産業の制度が社会へ浸透する
国外|欧米と対等な立場を目指す
  1. 不平等条約の改正を進める
  2. 朝鮮をめぐって清と対立する
  3. 日清戦争後、列強の一員として行動し始める

1890〜1900年|議会政治と対外戦争

制度上の近代化が進む一方、日本は「欧米と対等な国」と認められることを強く求めました。教育・司法・外交・産業・文化が変化し、その成果とひずみが同時に現れます。

1890
教育・国家時代の転換点

教育勅語——学校と国家を結ぶ道徳の基準

忠孝などの徳目を示し、危急の際には国に尽くすことを求めました。学校教育を通して広まり、天皇と国民の関係を形づくる役割を担います。

教育勅語を詳しく読む
1890年代
文学・言葉

言文一致体——読者に近い文章が生まれる

作家たちは、古い書き言葉だけでは表しにくい人間の感情や日常を、話し言葉に近い文章で描こうとしました。近代文学と読者の関係が変わります。

言文一致体を詳しく読む
1891
司法

大津事件——政治的圧力と司法の判断

来日中のロシア皇太子が警察官に襲撃されました。政府が重い刑を求めるなか、裁判所は法律に基づく判断を示し、司法権の独立を考える象徴的事件となります。

大津事件を詳しく読む
1891–
産業と公害

足尾鉱毒事件——産業発展の裏で公害が表面化する

銅の増産を支えた足尾銅山から鉱毒が流れ、渡良瀬川流域の農業や暮らしに深刻な被害を与えました。田中正造らが救済と操業停止を求めます。

足尾鉱毒事件を詳しく読む
1894
外交時代の転換点

条約改正——領事裁判権の撤廃が決まる

陸奥宗光外相のもとで日英通商航海条約が結ばれ、領事裁判権の撤廃が決まりました。幕末以来の不平等条約改正が、大きく前進します。

条約改正を詳しく読む
1894–95
対外戦争時代の転換点

日清戦争——朝鮮をめぐって日本と清が戦う

朝鮮をめぐる日本と清の対立が戦争へ進みました。日本の勝利は東アジアの力関係と日本の国際的立場を変える一方、帝国化への道を開きます。

日清戦争を詳しく読む
1895
講和

下関条約——清が朝鮮の独立を認め、台湾などを割譲する

清は朝鮮の独立を認め、日本へ台湾・澎湖諸島・遼東半島を割譲し、賠償金を支払うことになりました。日本は台湾を初の本格的な植民地として統治します。

下関条約を詳しく読む
1895
列強の圧力

三国干渉——勝利後に欧州列強の力を思い知らされる

ロシア・ドイツ・フランスが、日本に遼東半島の返還を求めました。日本は要求を受け入れ、国内ではロシアへの警戒と軍備拡張の意識が強まります。

三国干渉を詳しく読む
1900
列国協調時代の転換点

義和団事件——日本が連合軍の主力になる

清国で義和団の排外運動が拡大し、列国が軍事介入しました。地理的に近い日本は大兵力を派遣し、列強の一員として行動する姿を示します。

義和団事件を詳しく読む

発展の成果と社会のひずみ

広がったもの

議会政治、学校教育、鉄道、工場、新聞、近代文学が広がり、人々の暮らしと情報の流れが変わりました。

表面化した問題

選挙権の制限、工場の長時間労働、鉱毒などの公害、戦争による負担が社会問題となりました。

国際的な前進

条約改正が実現へ進み、日清戦争後の日本は東アジアにおける立場を大きく変えました。

帝国化への入口

台湾の植民地化や朝鮮への影響力拡大など、他地域を支配する方向も強まりました。

第3章のまとめ|立憲国家の運用から、戦争と帝国化へ日本は憲法・議会・司法を持つ国家として制度を動かし、条約改正にも前進しました。その一方、日清戦争によって台湾を植民地とし、列強と同じように国外へ勢力を広げる方向へ進みます。産業の成長は国力を支えましたが、公害や労働問題という新しい課題も生みました。
1 2 3 4
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次