明治時代とは|第2章
政治参加と憲法を求める
武力による士族反乱が終わる一方、国民の声を政治へ届けようとする自由民権運動が広がりました。政府は憲法と議会の準備を進めます。
政府への不満は、なぜ武力による反乱から、言論と政治参加を求める運動へ移っていったのでしょうか。
このページの内容
武力による抵抗から議会政治まで
自由民権運動は西南戦争後に突然始まったのではありません。すでに1874年には国会開設を求める建白書が提出されていました。その後、武力による士族反乱が敗れる一方、言論・集会・政党を通じた要求が広がります。
自由民権運動と立憲国家づくり
自由民権運動は一つの事件ではなく、国会・憲法・国民の政治参加を求めた広い運動です。それに対し、政府も自らの構想で内閣・憲法・議会を整え、立憲国家をつくろうとしました。
士族の困窮
結社による運動
求める世論
憲法制定
帝国議会開会
国会の必要性は認めながら、急激な政治参加が政府を不安定にすることを警戒しました。
国民の代表が政治に参加し、憲法によって権利を保障することを求めました。
政治理念だけでなく、地租・借金・不況など暮らしに直結する問題を抱えていました。
欧州の制度を調べ、天皇を中心としながら議会を持つ国家の仕組みを整えました。
1874〜1890年|政治参加と憲法を求める
政府への不満は、武力だけでなく、言論・政党・集会による運動へ変わりました。国会を求める声に向き合いながら、政府も立憲国家の制度を設計します。
自由民権運動——国会と憲法を求める
板垣退助らが民撰議院設立建白書を提出し、政治参加を求める運動が各地へ広がりました。士族だけでなく、豪農や町の人々も運動を担います。
自由民権運動を詳しく読む国会開設の勅諭——10年後の国会を約束する
政府は1890年に国会を開設すると表明しました。自由党や立憲改進党が結成され、政治参加の要求は制度づくりへつながっていきます。
国会開設の勅諭を詳しく読む松方デフレ——財政再建が農村を追い詰める
紙幣整理と緊縮財政によって物価が下がり、農産物価格も下落しました。現金で地租を納める農民は苦しくなり、土地を失う人も増えます。
松方デフレを詳しく読む内閣制度——初代内閣総理大臣に伊藤博文が就任する
太政官制に代わって内閣制度が始まり、各大臣が行政を分担する仕組みが整えられました。伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任します。
内閣制度を詳しく読む大日本帝国憲法——天皇・政府・議会の関係を定める
天皇を統治権の中心としながら、帝国議会が法律と予算を審議する国家の仕組みが定められました。国民の権利も記されましたが、法律による制限がありました。
大日本帝国憲法を詳しく読む第1回帝国議会——政府と議会が交渉する政治へ
衆議院と貴族院からなる帝国議会が開かれました。選挙権は一部の男性に限られていましたが、予算と法律を議会で審議する政治が始まります。
帝国議会を詳しく読む憲法が認めた権利と政治参加の限界
大日本帝国憲法によって、国民は法律上の権利を持ち、議会で予算や法律を審議する仕組みが始まりました。ただし、現在と同じ民主政治ではありませんでした。
| 始まったこと | 当時の限界 |
|---|---|
| 言論・集会などの権利が憲法に記された | 権利は「法律の範囲内」とされ、法律による制限を受けた |
| 衆議院議員を選ぶ選挙が始まった | 選挙権は高額納税者である25歳以上の男性に限られた |
| 帝国議会が法律と予算を審議した | 内閣は議会ではなく天皇に対して責任を負う仕組みだった |

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