明治時代とは|最終章
大国化と明治時代の終わり
日露戦争を経て国際的立場を高めた日本は、韓国併合へ進みました。大国化の成果だけでなく、国民負担、言論弾圧、植民地支配までを見て明治45年間を総括します。
日本は列強の一員へ近づく一方で、どのような負担と問題を抱えることになったのでしょうか。
このページの内容
日露戦争へ向かう国際関係
日露戦争は突然始まったのではありません。日清戦争後、ロシアが満州で勢力を拡大し、日本は朝鮮への影響力を守ろうとしました。イギリスとの同盟を後ろ盾に、日本はロシアとの交渉と開戦準備を進めます。
大国化と帝国化
日本は条約改正と安全保障を求めて国力を高め、列強の一員として扱われるようになりました。しかし、その大国化は戦争、軍備拡張、韓国への支配、国内の言論統制と結びついて進みました。
勢力を拡大
影響力を警戒
日英同盟
まとまらない
日露戦争開戦
外側にはロシアの南下と列強による中国分割があり、内側には安全保障への不安、軍備拡張、日清戦争後に強まった大国意識がありました。両方が重なって開戦へ進みます。
1900〜1912年|大国化と明治の終わり
列強との協調を進めた日本は、ロシアとの戦争に踏み切ります。戦争後は東アジアで勢力を拡大しましたが、その道は国民の犠牲と周辺地域への支配を伴いました。
日露戦争——勝利と大きな国民負担
満州と朝鮮をめぐる対立から、日本とロシアが戦いました。日本は講和に至りましたが、戦費と人的犠牲は大きく、賠償金を得られない講和への不満も噴き出します。
日露戦争を詳しく読む水師営の会見——敗将の名誉に配慮する
旅順開城後、乃木希典とステッセルが会見しました。敗者への礼を尽くしたと伝わる対応は、のちに教科書でも語られました。史実と後世の物語化を分けて読む必要があります。
水師営の会見を詳しく読む桂・タフト覚書——韓国とフィリピンをめぐる認識
桂太郎とタフトの会談内容を記録した覚書です。正式な条約ではありませんが、両国の東アジア政策を理解する手がかりとなります。
桂・タフト覚書を詳しく読むポーツマス条約——戦争を終わらせるが賠償金は得られない
日本はロシアから韓国における優越的な立場や南樺太などを得ましたが、賠償金は得られませんでした。戦争継続が難しい日本の実情と、国民の期待には大きな隔たりがありました。
ポーツマス条約を詳しく読む日比谷焼打事件——講和内容への怒りが暴動へ発展する
賠償金を得られない講和条約に反対する集会をきっかけに、群衆が警察署や新聞社などを襲撃しました。政府は戒厳令を敷いて鎮圧します。
日比谷焼打事件を詳しく読む大逆事件——社会主義運動への弾圧が強まる
幸徳秋水らが大逆罪で裁かれました。関与の程度には大きな差があり、後の研究では多くの被告について冤罪が指摘されています。国家権力と裁判を考える重要な事件です。
大逆事件を詳しく読む明治天皇崩御——大正時代へ
明治天皇の崩御により、45年間の明治時代が終わりました。近代国家の制度と産業を築いた一方、政治参加、社会格差、軍事と植民地支配をめぐる課題は次の時代へ残されます。
明治天皇崩御を詳しく読む大国化の成果と代償
日露戦争後の日本は、東アジアの国際政治で大きな影響力を持つ国として扱われるようになりました。
軍備と戦争には巨額の費用が必要で、国民は増税、公債、物価上昇、徴兵、戦死という負担を負いました。
1911年には関税自主権の回復が実現し、幕末以来の不平等条約改正は大きな節目を迎えました。
韓国併合によって朝鮮の主権を奪い、国内では社会主義運動への監視と弾圧が強まりました。
45年間で日本は何が変わったのか
全国共通の法律・税・軍隊・教育を持つ国家へ変わりました。
四民平等が掲げられ、兵役・納税・学校を通じて国家と結びつきました。
憲法と議会が生まれ、制限はありながら政治参加の制度が始まりました。
鉄道・工場・金融が発達する一方、労働問題と公害が現れました。
条約改正を進め、日清・日露戦争を経て国際的立場を高めました。
国を守る近代化は、やがて周辺地域への支配と植民地化へ進みました。
次に読む3つのページ
よくある質問
明治時代はいつからいつまでですか?
一般には、明治元年の1868年から明治天皇が崩御した1912年までを指します。
明治維新と明治時代は同じですか?
同じではありません。明治維新は幕末から新政府成立・初期改革へ続く政治社会の大転換で、明治時代45年間の入口にあたります。
なぜ日本は急いで近代化したのですか?
欧米諸国による軍事的・外交的圧力の中で、独立を守り、対等に交渉できる国家をつくる必要があると考えたためです。

コメント