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明治時代とは?日本が近代国家へ生まれ変わった45年

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明治時代とは|最終章

大国化と明治時代の終わり

日露戦争を経て国際的立場を高めた日本は、韓国併合へ進みました。大国化の成果だけでなく、国民負担、言論弾圧、植民地支配までを見て明治45年間を総括します。

このページで考えること

日本は列強の一員へ近づく一方で、どのような負担と問題を抱えることになったのでしょうか。

このページの内容

  1. 日露戦争へ向かう国際関係
  2. 日英同盟と日露戦争
  3. 水師営の会見
  4. 桂・タフト覚書、ポーツマス条約、日比谷焼打事件
  5. 韓国併合と条約改正完了
  6. 大逆事件と辛亥革命
  7. 大国化の成果と代償
  8. 45年間で日本は何が変わったのか

日露戦争へ向かう国際関係

日露戦争は突然始まったのではありません。日清戦争後、ロシアが満州で勢力を拡大し、日本は朝鮮への影響力を守ろうとしました。イギリスとの同盟を後ろ盾に、日本はロシアとの交渉と開戦準備を進めます。

この年表を包む大きな流れ

大国化と帝国化

日本は条約改正と安全保障を求めて国力を高め、列強の一員として扱われるようになりました。しかし、その大国化は戦争、軍備拡張、韓国への支配、国内の言論統制と結びついて進みました。

日英同盟日露戦争韓国支配条約改正完了明治の終わり
ロシアが満州へ
勢力を拡大
日本が朝鮮への
影響力を警戒
1902年
日英同盟
日露交渉が
まとまらない
1904年
日露戦争開戦
外的要因と内的要因

外側にはロシアの南下と列強による中国分割があり、内側には安全保障への不安、軍備拡張、日清戦争後に強まった大国意識がありました。両方が重なって開戦へ進みます。

1900〜1912年|大国化と明治の終わり

列強との協調を進めた日本は、ロシアとの戦争に踏み切ります。戦争後は東アジアで勢力を拡大しましたが、その道は国民の犠牲と周辺地域への支配を伴いました。

1902
外交時代の転換点

日英同盟——イギリスと協力関係を結ぶ

ロシアの東アジア進出を警戒する日本とイギリスが同盟を結びました。日本は孤立を避け、対ロシア外交の後ろ盾を得ます。

日英同盟を詳しく読む
1904–05
戦争時代の転換点

日露戦争——勝利と大きな国民負担

満州と朝鮮をめぐる対立から、日本とロシアが戦いました。日本は講和に至りましたが、戦費と人的犠牲は大きく、賠償金を得られない講和への不満も噴き出します。

日露戦争を詳しく読む
1905.1
戦争と人間

水師営の会見——敗将の名誉に配慮する

旅順開城後、乃木希典とステッセルが会見しました。敗者への礼を尽くしたと伝わる対応は、のちに教科書でも語られました。史実と後世の物語化を分けて読む必要があります。

水師営の会見を詳しく読む
1905.7
日米関係

桂・タフト覚書——韓国とフィリピンをめぐる認識

桂太郎とタフトの会談内容を記録した覚書です。正式な条約ではありませんが、両国の東アジア政策を理解する手がかりとなります。

桂・タフト覚書を詳しく読む
1905.9
講和

ポーツマス条約——戦争を終わらせるが賠償金は得られない

日本はロシアから韓国における優越的な立場や南樺太などを得ましたが、賠償金は得られませんでした。戦争継続が難しい日本の実情と、国民の期待には大きな隔たりがありました。

ポーツマス条約を詳しく読む
1905.9
国民の反発

日比谷焼打事件——講和内容への怒りが暴動へ発展する

賠償金を得られない講和条約に反対する集会をきっかけに、群衆が警察署や新聞社などを襲撃しました。政府は戒厳令を敷いて鎮圧します。

日比谷焼打事件を詳しく読む
1910
植民地支配時代の転換点

韓国併合——朝鮮を日本の統治下に置く

日本は韓国を併合し、朝鮮総督府を置きました。日本の勢力拡大は、朝鮮の人々の主権を奪う植民地支配を伴いました。

韓国併合を詳しく読む
1910–11
言論・弾圧

大逆事件——社会主義運動への弾圧が強まる

幸徳秋水らが大逆罪で裁かれました。関与の程度には大きな差があり、後の研究では多くの被告について冤罪が指摘されています。国家権力と裁判を考える重要な事件です。

大逆事件を詳しく読む
1911
外交

条約改正完了——関税自主権を回復する

小村寿太郎外相のもとで関税自主権の回復が実現しました。領事裁判権の撤廃と合わせ、幕末以来の不平等条約改正は大きな完了を迎えます。

条約改正完了を詳しく読む
1911
アジアの革命

辛亥革命——孫文を支えた日本人たち

清朝を倒す革命が起きました。日本では孫文を支える民間人がいる一方、政府や軍の考えは一枚岩ではなく、対応は揺れていました。

辛亥革命と日本を詳しく読む
1912
時代の終わり時代の転換点

明治天皇崩御——大正時代へ

明治天皇の崩御により、45年間の明治時代が終わりました。近代国家の制度と産業を築いた一方、政治参加、社会格差、軍事と植民地支配をめぐる課題は次の時代へ残されます。

明治天皇崩御を詳しく読む

大国化の成果と代償

国際的な地位

日露戦争後の日本は、東アジアの国際政治で大きな影響力を持つ国として扱われるようになりました。

戦争と暮らし

軍備と戦争には巨額の費用が必要で、国民は増税、公債、物価上昇、徴兵、戦死という負担を負いました。

条約改正の達成

1911年には関税自主権の回復が実現し、幕末以来の不平等条約改正は大きな節目を迎えました。

植民地支配と言論統制

韓国併合によって朝鮮の主権を奪い、国内では社会主義運動への監視と弾圧が強まりました。

第4章のまとめ|列強の一員へ、そして大正時代へ日本は日英同盟と日露戦争を経て国際的な地位を高め、不平等条約改正も完了させました。しかし大国化は、戦争による国民負担、韓国への植民地支配、国内の言論弾圧と切り離せません。明治時代が築いた制度と産業、そして残した問題は、そのまま大正時代へ引き継がれました。

45年間で日本は何が変わったのか

藩から中央政府へ

全国共通の法律・税・軍隊・教育を持つ国家へ変わりました。

身分から国民へ

四民平等が掲げられ、兵役・納税・学校を通じて国家と結びつきました。

政府主導から議会政治へ

憲法と議会が生まれ、制限はありながら政治参加の制度が始まりました。

農業国から産業国家へ

鉄道・工場・金融が発達する一方、労働問題と公害が現れました。

不平等条約から列強の一員へ

条約改正を進め、日清・日露戦争を経て国際的立場を高めました。

独立の維持から帝国化へ

国を守る近代化は、やがて周辺地域への支配と植民地化へ進みました。

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よくある質問

明治時代はいつからいつまでですか?

一般には、明治元年の1868年から明治天皇が崩御した1912年までを指します。

明治維新と明治時代は同じですか?

同じではありません。明治維新は幕末から新政府成立・初期改革へ続く政治社会の大転換で、明治時代45年間の入口にあたります。

なぜ日本は急いで近代化したのですか?

欧米諸国による軍事的・外交的圧力の中で、独立を守り、対等に交渉できる国家をつくる必要があると考えたためです。

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