鎌倉時代の成立期は、源頼朝が鎌倉を拠点に、武士をまとめる新しい政治を形にしていった時期です。
平安時代の終わり、源平合戦で平氏が滅びると、政治の中心は少しずつ貴族や朝廷だけのものではなくなっていきました。土地を守り、戦う力を持つ武士たちが、日本の政治を動かす存在になっていきます。
このページでは、鎌倉時代の成立期を、源頼朝・御家人・御恩と奉公・守護と地頭・朝廷との関係を中心に整理します。
鎌倉時代の成立期は、3つの流れで見るとわかりやすい
源頼朝が武士をまとめ、土地を守る仕組みを作り、朝廷とは別に武士の政治を整えていきました。
鎌倉時代の成立期とは?
鎌倉時代の成立期とは、源頼朝が鎌倉を拠点に武士の政治を整えていった時期です。
鎌倉幕府は、1192年に源頼朝が征夷大将軍になった瞬間だけで突然できたわけではありません。1180年ごろから頼朝が東国で力を固め、侍所などの組織を作り、守護・地頭を置いていく中で、段階的に武士の政治が形づくられていきました。
つまり鎌倉時代の成立期は、平安時代の「貴族や朝廷を中心とする政治」から、鎌倉時代の「武士が土地と主従関係をもとに動かす政治」へ移っていく大きな転換点だったのです。
政治の中心は、貴族から武士へ
朝廷・貴族が中心
政治の中心は京都にあり、官位や血筋、朝廷との関係が大きな意味を持ちました。
武士が政治を動かす
土地を守る武士たちが、主従関係をもとに政治の大きな力を持つようになりました。
鎌倉時代の成立は、政治の中心が「都の貴族社会」から「土地を守る武士社会」へ移っていく大きな変化でした。
平安の終わりから、武士の政治へ
平氏が滅び、源氏が武士をまとめる流れが強まります。
東国の武士たちと結びつき、京都とは離れた場所で力を固めました。
御家人・御恩と奉公・守護と地頭によって、武士の政治が形になっていきました。
1. 源頼朝が鎌倉を拠点にした理由
源頼朝は、平治の乱のあと伊豆へ流されました。しかし、平氏への不満が高まる中で挙兵し、東国の武士たちを味方につけていきます。
頼朝が重要だったのは、ただ戦に勝ったことだけではありません。京都に入って貴族社会の中で出世するのではなく、鎌倉を拠点にして、地方の武士たちをまとめる新しい政治の形を作ったことにあります。
鎌倉は、頼朝を支えた東国武士たちに近い場所でした。都から離れた場所に拠点を置くことで、朝廷や貴族に振り回されすぎず、武士たちを直接まとめやすくなりました。
頼朝の強さは、東国武士との結びつきにあった
朝廷や貴族の政治の中心。古い権威が強い場所。
東国武士をまとめやすい場所。武士の政治の拠点になった。
2. 御家人とは?頼朝に従った武士たち
鎌倉幕府を支えた武士たちは、御家人と呼ばれました。
御家人とは、源頼朝と主従関係を結んだ武士たちのことです。彼らにとって一番大切だったのは、自分たちの土地を守ることでした。
頼朝は、御家人の土地や権利を守る代わりに、御家人たちは戦のときや警備のときに頼朝のために働きました。この関係が、鎌倉幕府の基本になっていきます。
御恩と奉公の関係
御恩
御家人の土地や権利を守る。新しい土地を与えることもありました。
奉公
戦に参加する。警備をする。幕府の命令に従う。
鎌倉幕府は、土地を守ってほしい武士たちと、その力を必要とした頼朝の結びつきで成り立っていました。
3. 守護と地頭|武士の政治を支えた仕組み
鎌倉幕府が武士をまとめるために重要だったのが、守護と地頭です。
守護は、国ごとに置かれた軍事・警察のような役割を持つ存在です。地頭は、荘園や公領に置かれ、土地の管理や年貢の取り立てなどに関わりました。
これにより、鎌倉幕府は京都から離れた場所にありながら、全国の武士や土地に影響を持つことができました。ただし、幕府が最初から全国すべてを完全に支配していたわけではありません。朝廷や荘園領主の力も残る中で、武士の影響力が少しずつ広がっていきました。
守護と地頭の違い
守護
国ごとに置かれ、軍事や警察のような役割を担いました。
地頭
荘園や公領に置かれ、土地の管理や年貢の取り立てに関わりました。
4. 朝廷と幕府|二つの政治が並び立った
鎌倉幕府ができたからといって、朝廷がすぐに消えたわけではありません。
天皇や朝廷は、引き続き京都に存在していました。その一方で、鎌倉には武士をまとめる幕府がありました。つまり鎌倉時代の日本では、朝廷と幕府という二つの政治の中心が並び立つようになります。
この関係は、のちの承久の乱で大きく変化していきます。朝廷が幕府を倒そうとしたことで、幕府と朝廷の力関係がはっきり問われることになるのです。
京都の朝廷と、鎌倉の幕府
京都|朝廷
天皇や貴族を中心とした古くからの権威が残りました。
鎌倉|幕府
武士をまとめ、土地や軍事に関わる新しい政治の中心になりました。
5. 鎌倉幕府はいつ成立した?1185年と1192年の違い
鎌倉幕府というと、「1192年に源頼朝が征夷大将軍になって始まった」と覚えた方も多いかもしれません。
しかし現在では、鎌倉幕府は1192年に突然できたというより、1180年ごろから少しずつ形づくられていったと考える方がわかりやすくなっています。
頼朝が東国支配を進め、侍所を設置し、守護・地頭を置き、御家人をまとめる仕組みを整えていったことで、武士の政治は段階的に完成していきました。
1192年の征夷大将軍任命は、その流れの中で、幕府の形が名実ともに整った重要な節目と考えるとよいでしょう。
鎌倉幕府は段階的に形づくられた
平氏打倒の流れの中で、東国武士との結びつきを強めていきます。
御家人を統制するための組織が整えられていきます。
全国の軍事や土地に関わる幕府の仕組みが広がっていきます。
武士の政治の形が、名実ともに整った節目として見ることができます。
1185年は幕府の仕組みが大きく整った年、1192年は頼朝が征夷大将軍となった節目として見るとわかりやすいです。
6. まとめ|鎌倉時代の成立期は、武士の政治が形になった時代
鎌倉時代の成立期は、源頼朝が武士をまとめ、新しい政治の仕組みを整えていった時代です。
頼朝は、御家人との主従関係をもとに、土地を守る仕組みを作りました。御恩と奉公、守護と地頭、朝廷と幕府の二重構造などは、鎌倉時代を理解するうえで欠かせないポイントです。
つまり鎌倉時代の成立期は、武士がただ戦う存在から、政治を動かす存在へ変わっていった時代だったのです。
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