鎌倉時代は、源頼朝が鎌倉を拠点に武士の政治を整えたことから始まり、1333年に鎌倉幕府が滅びるまで続いた時代です。
それまでの日本では、天皇や貴族を中心に政治が動いていました。しかし鎌倉時代になると、土地を守る武士たちが政治の大きな力を持つようになります。
このページでは、鎌倉時代をただ年表で覚えるのではなく、成立期・安定期・動揺期の3つの流れに分けて整理します。
ひこまるお師匠!鎌倉時代って、どうして「武士の時代」って言われるの?平安時代にも武士はいたんじゃないの?



よい疑問じゃ、ひこまる。武士は平安時代からいたんじゃよ。ただ、政治を動かしていたのは貴族じゃった。鎌倉時代は、武士が初めて政治の中心に立った時代——それが「武士の時代」と呼ばれる理由じゃ。
鎌倉時代は3つの流れで見るとわかりやすい
鎌倉時代は、武士の政治が始まり、北条氏が幕府を支え、元寇後の不満から幕府が滅びていく流れで整理できます。
鎌倉時代の大きな流れ
鎌倉時代を理解するときは、細かい出来事をいきなり覚えるよりも、まず「武士の政治がどう始まり、どう支えられ、なぜ崩れていったのか」をつかむことが大切です。
武士の政治は、こうして始まり、強まり、揺らいでいった
源頼朝が鎌倉を拠点に、御家人との主従関係をもとに武士の政治を形にしていきます。
源氏の将軍が途絶えたあと、北条氏が執権として幕府を支え、政治の実権を握っていきます。
元寇後、御家人に十分な恩賞を与えられず、幕府への不満が高まっていきました。
鎌倉時代は、武士の政治が始まり、北条氏が支え、御家人の不満で揺らいだ時代です。
1. 成立期|源頼朝が武士の政治を形にした
鎌倉時代の始まりの主役は、源頼朝です。
源頼朝は、平氏を倒したあと、鎌倉を拠点に武士たちをまとめる仕組みを整えていきました。これが鎌倉幕府です。
鎌倉幕府の大きな特徴は、御恩と奉公という主従関係にあります。頼朝は、御家人と呼ばれる武士たちの土地や権利を守る代わりに、戦のときには頼朝に従わせました。
ここが、平安時代までの貴族中心の政治との大きな違いです。鎌倉時代には、土地を守り、戦う力を持つ武士たちが、政治の中心に近づいていきました。
頼朝の政治は「土地」と「主従関係」で成り立った
頼朝や幕府が、御家人の土地や権利を守ること。
御家人が、戦や警備のときに幕府のために働くこと。
この関係が、鎌倉時代の武士の政治を支える土台になりました。
2. 安定期|北条氏が執権政治で幕府を支えた
源頼朝の死後、源氏の将軍は3代で途絶えました。そこで幕府の政治を実際に動かすようになったのが、頼朝の妻・北条政子の実家である北条氏です。
北条氏は、将軍そのものになるのではなく、執権という立場から幕府を動かしました。これを執権政治といいます。
鎌倉時代の安定期を考えるうえで重要なのが、1221年の承久の乱です。後鳥羽上皇が幕府を倒そうとしましたが、幕府側が勝利しました。
この戦いによって、朝廷よりも幕府の力が強くなり、武家政権の優位がはっきりしていきます。
幕府の力は、承久の乱で大きく強まった
将軍を支える立場だった北条氏が、実際には幕府政治の中心になっていきます。
幕府の優位が明確になり、武士の政治がさらに強くなりました。
武士社会のトラブルを裁くための基準が整えられていきました。
3. 動揺期|元寇と御家人の不満から幕府が滅びた
鎌倉幕府は、承久の乱のあと大きな力を持つようになりました。しかし、時代が進むと少しずつほころびが見えてきます。
→ 詳しくはこちら:承久の乱とは?後鳥羽上皇の挑戦と幕府の勝利
その大きなきっかけが、元寇です。1274年の文永の役、1281年の弘安の役で、モンゴル帝国の軍勢が日本へ攻めてきました。
日本は防戦に成功しましたが、元寇は外国からの防衛戦だったため、勝っても新しい土地を得ることができませんでした。そのため、戦った御家人たちに十分な恩賞を与えることが難しくなります。
御恩と奉公で成り立っていた幕府にとって、これは大きな問題でした。御家人の不満が高まり、やがて後醍醐天皇の討幕運動によって、1333年に鎌倉幕府は滅亡します。



えっ……でも元寇に勝ったんだよね?勝ったのに、なんで幕府が苦しくなるの?



そこが鎌倉幕府の悲劇じゃな。御家人たちは命がけで戦ったんじゃが、外国相手の防衛戦では、勝っても新しい土地が得られないんじゃ。御恩と奉公の仕組みは「土地」で成り立っていたから、恩賞が出せなければ御家人の信頼は崩れていく——勝利がかえって幕府の矛盾を浮き彫りにした、ということじゃよ。
元寇は、幕府の仕組みを揺るがした
日本は防戦に成功しますが、国内の土地を増やす戦いではありませんでした。
命がけで戦った御家人たちに、十分な土地や報酬を与えにくくなりました。
幕府を支えていた武士たちの信頼が揺らぎ、幕府滅亡へつながっていきます。
鎌倉時代で育った武士の価値観
鎌倉時代は、政治の仕組みが変わっただけではありません。武士の価値観や生き方が、日本社会の中で大きな意味を持つようになった時代でもあります。
土地を守ること、主君に仕えること、家を守ること、戦いに備えること。こうした価値観は、のちの武士道につながる大切な土台になっていきます。
また、鎌倉時代には新しい仏教も広がりました。戦や不安の多い時代の中で、人々はわかりやすく心の支えになる教えを求めるようになっていきます。
鎌倉時代の重要人物
鎌倉時代を理解するときは、人物から見るのもおすすめです。源頼朝、北条政子、北条時宗、後醍醐天皇など、時代を動かした人物を押さえると流れが見えやすくなります。
鎌倉時代を動かした主な人物
御成敗式目を作り、武士の政治にルールをもたらした執権
詳しく読む →北条時宗元寇という国難に若き執権として立ち向かった人物
詳しく読む →北条高時鎌倉幕府最後の執権。幕府滅亡期の北条氏の中心人物
詳しく読む →源頼家頼朝の後を継いだ2代将軍。権力闘争の中で孤立した
詳しく読む →源実朝源氏将軍最後の3代将軍。和歌を愛した悲劇の将軍
詳しく読む →楠木正成少ない兵で幕府軍を翻弄し、倒幕を支えた武将
詳しく読む →鎌倉時代の重要な出来事
出来事から見ると、鎌倉時代がどのように始まり、どのように強くなり、なぜ滅びていったのかがわかりやすくなります。
鎌倉時代の流れを動かした出来事
武士の政治が本格的に始まります。
幕府が朝廷に勝ち、武家政権の力が強まります。
日本は防戦に成功しましたが、御家人の不満が高まります。
後醍醐天皇の討幕運動などにより、鎌倉幕府は滅びます。
北条氏の内部抗争をくわしく読む
北条氏が幕府の中心へ進んだ転機
→ 詳しく読む 牧氏事件北条時政の失脚と義時の台頭
→ 詳しく読む 畠山重忠の乱忠義の武将が討たれた有力御家人排除
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→ 詳しく読む 霜月騒動御家人合議が終わった幕府衰退の転機
→ 詳しく読むまとめ|鎌倉時代は、武士の政治が始まり、揺らいでいった時代
鎌倉時代は、武士が初めて政治の中心に立った時代です。
源頼朝が御家人をまとめて武士の政治を形にし、北条氏が執権政治によって幕府を支えました。しかし、元寇後に御家人の不満が高まり、幕府を支える仕組みは少しずつ揺らいでいきます。
つまり鎌倉時代は、武士の時代の始まりであると同時に、武士の政治が抱える難しさも見えてきた時代でした。
参考資料・参考図書
- 石井進・大隅和雄・笠松宏至・勝俣鎮夫『中世政治社会思想』岩波書店
- 網野善彦『日本社会の歴史(中)』岩波新書
- 五味文彦『鎌倉と京』講談社学術文庫
- 国史大辞典「鎌倉時代」吉川弘文館
鎌倉時代を深掘り!
ここまで鎌倉時代全体の流れを見てきました。さらに詳しく知りたい方は、成立期・安定期・動揺期の3つの記事から読み進めてみてください。
鎌倉時代の流れを、3つの記事で深掘りする
まずは成立期で幕府の始まりを確認し、安定期で北条氏の政治を見て、動揺期で幕府滅亡までの流れを追うと理解しやすくなります。
鎌倉時代をもっと整理して読む
人物・出来事・次の時代へ進むと、鎌倉時代の理解がさらに深まります。


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