日本は、
最初から「帝国」を目指していたわけではありません。
- 国を守る
- 列強に飲み込まれない
- 主権を保つ
そのための選択を積み重ねた結果、
ある一線を越えてしまった。
それを象徴する出来事が、
韓国併合(かんこくへいごう)
です。
目次
韓国併合とは|朝鮮半島を日本の領土とした出来事
韓国併合とは、
1910年(明治43年)、
日本が大韓帝国を併合し、
朝鮮半島を自国の領土とした出来事です。
これにより日本は、
- 影響力を持つ国
から - 他国を直接支配する国
――つまり
帝国主義国家
へと、明確に足を踏み入れました。
なぜ朝鮮半島だったのか|地理と安全保障
朝鮮半島は、
日本にとって特別な意味を持つ地域でした。
- 日本列島に最も近い大陸
- 外敵が侵入する際の「通路」
- 歴史的に大陸勢力の影響下に置かれやすい
日本の指導者たちは考えました。
朝鮮が他国に支配されれば、
日本の安全は保てない。
この発想は、
防衛論として語られながら、
次第に 支配の論理へと変化していきます。
併合までの段階|一気に起きたわけではない
韓国併合は、
突然行われたものではありません。
主な流れ
- 日清戦争後:清の影響力排除
- 日露戦争後:ロシアの影響力排除
- 保護国化:外交権を日本が掌握
- 統監府設置:内政への介入強化
- 1910年:併合条約締結
これは、
影響 → 管理 → 支配
という段階的な進行でした。
中心人物|伊藤博文
韓国併合の過程で
重要な役割を果たした人物が
伊藤博文です。
彼は初代韓国統監として、
- 急進的な併合には慎重
- 段階的支配を志向
していました。
しかし現実は、
彼の意図を超えて進んでいきます。
伊藤博文の暗殺(1909年)は、
併合への流れを止める最後の歯止め
でもありました。
なぜ併合に踏み切ったのか|国際社会の空気
当時の世界は、
帝国主義の時代でした。
- 欧米列強は植民地を拡大
- 弱い国は保護・併合される
- 国際社会は力関係で動く
日本は、
- 日英同盟
- 日露戦争の勝利
によって、
列強から「一角」と見なされ始めていました。
今なら、併合しても許容される
そう判断した背景には、
国際的黙認がありました。
史実で整理する|韓国併合の基本データ
ここで、史実として整理します。
実施年
- 1910年(明治43年)
併合対象
- 大韓帝国(朝鮮)
方法
- 併合条約の締結
結果
- 朝鮮総督府の設置
- 日本の植民地支配開始
性格
- 帝国主義的領土拡張
日本は何を得て、何を失ったのか
得たもの
- 朝鮮半島の支配権
- 大陸進出の足場
- 戦略的安全保障
失ったもの
- 「防衛国家」という自己像
- 周辺国との信頼
- 植民地支配への責任
韓国併合は、
日本にとって
利益と重荷を同時にもたらした選択
でした。
韓国併合が意味する転換点
この出来事を境に、
日本は明確に変わります。
- 自国を守る国
→ - 他国を統治する国
これは、
近代日本における
最大級の方向転換でした。
まとめ|韓国併合は「日本が帝国になった瞬間」だった
韓国併合は、
単なる領土拡張ではありません。
それは、
- 防衛の論理が
- 支配の論理に変わり
- 日本が帝国主義の側に立った
その瞬間でした。
この選択の影響は、
20世紀の日本史を通じて、
長く重く残り続けることになります。

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