米騒動とは何だったのか
米騒動(こめそうどう)とは、
1918年(大正7年)に全国で起こった、米の値上がりに対する大規模な民衆運動です。
始まりは、
「米が高くて買えない」
という、暮らしに直結した切実な不満でした。
しかしこの出来事は、
単なる物価高への抗議では終わりませんでした。
結果として、
内閣が倒れ、政治の仕組みそのものが動くという、
日本史上きわめて重要な転換点となったのです。
なぜ米騒動は起こったのか
米の価格が急激に上がった理由
1910年代後半、日本では次のような状況が重なっていました。
- 第一次世界大戦による好景気
- 商人による米の買い占め
- 都市人口の増加による需要の拡大
その結果、
米の価格は短期間で急騰します。
米は当時の日本人にとって、
生活そのものでした。
その米が買えなくなったことで、
人々の不満は一気に高まっていきます。
米騒動はどのように広がったのか
主婦の声から全国的な運動へ
米騒動のきっかけは、
富山県の港町で起こった
主婦たちの抗議行動でした。
「これ以上、米を高く売らないでほしい」
この小さな声は、
- 口コミ
- 新聞報道
- 人の移動
を通じて、瞬く間に全国へ広がります。
やがて運動は、
- デモ
- 米屋への抗議
- 集会
へと発展し、
全国700か所以上で騒動が起こる事態となりました。
米騒動はなぜ「暴動」になったのか
当初は穏やかな抗議だった米騒動ですが、
一部では暴動にまで発展します。
その背景には、
- 行政の対応の遅れ
- 軍や警察による強硬な鎮圧
- 長年積み重なった生活不安
がありました。
人々は、
「声を上げても聞いてもらえない」
という不信感を抱えていたのです。
米騒動は政治にどんな影響を与えたのか
内閣が倒れた理由
米騒動の責任を問われ、
当時の政府は国民の支持を失います。
その結果、
内閣は総辞職に追い込まれました。
ここで誕生したのが、
**原敬**を首相とする内閣です。
日本初の「本格的政党内閣」の誕生
原敬内閣は、
- 政党を基盤とした内閣
- 国会を重視する政治
- 民衆の不満を意識した政策運営
を特徴としていました。
つまり米騒動は、
民衆の怒りが、実際に政治のトップを交代させた出来事だったのです。
なぜ米騒動は「政治参加の始まり」と言えるのか
米騒動の最大の意味は、
結果そのものよりも、人々の意識の変化にあります。
人々は、この出来事を通して、
- 声を上げれば政治は変わる
- 政治は遠い世界の話ではない
- 自分たちの生活と直結している
と実感しました。
これは、
後の 大正デモクラシー や 普通選挙法 へとつながる
重要な土台となります。
米騒動の限界と課題
ただし、米騒動には限界もありました。
- 組織だった運動ではなかった
- 要求が明確に整理されていなかった
- 女性や労働者の政治参加はまだ制限されていた
それでも、
「民衆が政治を動かした」
という事実は、
日本史上、はじめての経験でした。
まとめ|米騒動とは何だったのか
米騒動とは、
- 生活の苦しさから生まれた民衆運動
- 全国に広がった大規模な社会のうねり
- 内閣を倒し、政党政治を前進させた出来事
でした。
この出来事によって、
日本の政治は初めて、
「国民の声を無視できない段階」
へと進んだのです。
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