昭和の始まりは、明るいスタートではありませんでした。
景気は弱く、暮らしには不安が残り、社会の空気も重かった。
その不安を決定的に深めたのが、**昭和恐慌(しょうわきょうこう)**です。
1929年の世界恐慌の波が日本を直撃し、
そこへ国内の弱さと政策判断が重なって、
不況は「長く」「深く」「生活に刺さる形」で広がっていきました。
この記事では、昭和恐慌の仕組みと広がり方、
そして日本社会に何が起きたのかを、基礎から整理します。
昭和恐慌とは何か
昭和恐慌とは、主に1930年前後に日本を襲った深刻な不況のことです。
世界恐慌(1929年)をきっかけに、輸出が落ち、物価が下がり、失業や倒産が増え、
特に農村の困窮が社会問題として表面化しました。
つまり昭和恐慌は、
世界恐慌の影響が、日本の弱った経済と結びついて深刻化した不況です。
👉 世界側の出発点はここで整理できます
「世界恐慌とは?1929年に始まった世界規模の不況」
なぜ不況が深刻化したのか|昭和恐慌の核心
昭和恐慌が深刻だったのは、「外のショック」だけでなく、
「日本の状態」と「政策の方向」が重なったからです。
① 世界恐慌で、輸出が急減した(日本は外需に弱かった)
当時の日本は、生糸や繊維製品など輸出に大きく依存していました。
世界恐慌によって海外の需要が落ちると、輸出は一気に縮みます。
- 売れない
- 価格が下がる
- 企業の収益が消える
- 工場が縮む
輸出型の景気悪化は、国内の雇用へ直結しました。
② デフレが進み、「物価下落」が不況を加速させた
昭和恐慌では、物価が下がるデフレが深刻でした。
一見すると「安くなるのは良いこと」に見えますが、デフレは景気を冷やします。
- 商品が安くなり、企業の利益が減る
- 賃金が下がる・雇用が減る
- 人々が買い控えする
- さらに売れなくなる
この循環で、社会全体の体温が下がっていきました。
③ 金融が弱っていた(戦後恐慌→震災→金融恐慌の“疲れ”)
世界恐慌の波を受ける前から、日本の金融はすでに弱っていました。
- 戦後恐慌(1920年)の反動
- 関東大震災(1923年)の被害
- 震災手形の処理問題
- 金融恐慌(1927年)での信用不安
「体力が落ちた状態」で世界の大波を受けたため、
不況は深刻化しやすかったのです。
👉 ここを押さえると昭和恐慌が“突然ではない”とわかります
「戦後恐慌(1920)とは?なぜ不況になったのか」
「震災手形とは?なぜ金融不安の火種になったのか」
「金融恐慌とは?1927年に大正経済が揺れた理由」
「取り付け騒ぎとは?なぜ銀行が止まるのか」
④ 政策が「景気を温める」より「引き締め」を優先した
不況期に政策が引き締め寄りになると、景気はさらに縮みます。
当時は「通貨や財政を安定させる」ことを重視する動きが強く、
結果としてデフレ圧力が強まった面があります。
ここは昭和恐慌を理解する上で重要な論点です。
「なぜ止血を優先したのか」「その結果どうなったのか」という視点が、
政治や社会の空気の変化にもつながります。
どんな影響が出たのか|暮らしに直撃した昭和恐慌
昭和恐慌の特徴は、都市だけでなく農村の苦しさが極端に強まったことです。
都市部
- 失業者の増加
- 賃金の引き下げ
- 倒産の増加
農村
- 生糸価格の下落
- 現金収入の激減
- 生活の困窮が深刻化
“お金が回らない”不況は、最後に生活へ落ちてきます。
昭和恐慌はそれがはっきり見える不況でした。
社会と政治はどう変わったのか|不安が“空気”を変えていく
不況が長引くほど、人々の気持ちは変わります。
- 既存の政治への不満
- 格差への不信
- 「もっと強い指導力を」という声
こうした空気が強まると、政治の選択や外交の姿勢にも影響が出やすくなります。
昭和初期の社会が不安定化していく背景には、昭和恐慌の影響がありました。
👉 昭和全体の流れの中で位置づけるなら
「昭和時代まとめ|『戦争』と『復興』を生き抜いた64年」
まとめ|昭和恐慌が深刻化した理由
・昭和恐慌は1930年前後の深刻な不況で、世界恐慌の影響が日本で拡大したもの
・輸出依存の経済が直撃を受け、企業と雇用が縮んだ
・デフレが進み、買い控えと利益減が不況を加速した
・金融は戦後恐慌・震災・金融恐慌で弱っており、耐えにくかった
・不況は暮らしに刺さり、社会不安と政治不信を強めた
昭和恐慌を整理することは、
「昭和の空気がなぜ変わっていったのか」を理解する入口になります。

コメント