国際連盟(こくさいれんめい)とは、
第一次世界大戦後、世界の平和を守るためにつくられた国際組織です。
この組織に日本は、
戦勝国の一員として参加しました。
国際連盟への参加は、
日本が「地域の国」から「世界の一員」へと位置づけられた象徴的な出来事でした。
この記事では、
国際連盟とは何だったのか、
そして日本はそこでどんな立場にあったのかを、
歴史初心者の大人にもわかりやすく解説します。
国際連盟とは何か
**国際連盟**は、
第一次世界大戦の反省から生まれた国際組織です。
目的はとてもシンプルで、
- 戦争を防ぐこと
- 国同士の話し合いで問題を解決すること
でした。
それまでの国際社会では、
問題が起きれば戦争で決着をつけるのが当たり前でした。
国際連盟は、
「話し合いで世界を動かそう」という初めての本格的な試みだったのです。
なぜ国際連盟が必要とされたのか
背景には、
第一次世界大戦による未曽有の被害がありました。
- 多くの国で甚大な死者
- 経済や社会の崩壊
- 戦争への強い反省
こうした状況から、
「もう同じ過ちを繰り返してはいけない」という声が高まります。
👉 この戦争が日本に与えた影響については、
**「第一次世界大戦が日本に与えた影響」**の記事で詳しく解説しています。
日本はなぜ国際連盟に参加したのか
日本は第一次世界大戦で、
連合国側として参戦し、戦勝国となりました。
その結果、
- 国際社会での発言力が増す
- 欧米列強と肩を並べる立場になる
という状況が生まれます。
日本にとって国際連盟への参加は、
**「近代国家として正式に認められる場」**でもありました。
国際連盟での日本の立場
国際連盟では、
- 日本
- イギリス
- フランス
- イタリア
などが主要国として扱われました。
日本は常任理事国の一つとなり、
国際問題の話し合いに直接関わる立場に立ちます。
これは当時としては、
日本外交の大きな成功と受け止められていました。
理想と現実のズレ
しかし、国際連盟には大きな弱点もありました。
- 軍事力を持たない
- 強制力が弱い
- 参加国の協力に頼る仕組み
つまり、
守る力より「話し合いへの期待」に依存した組織だったのです。
この理想と現実のズレは、
次第に大きくなっていきました。
日本と国際連盟の関係が変わり始める
1920年代後半から、
日本の外交姿勢は少しずつ変化していきます。
- 国際協調よりも国益を重視
- アジアでの影響力拡大を優先
この流れは、
**「対華二十一か条要求とは?日本外交の転換点」**で見たような、
強硬な外交姿勢とも重なっていきます。
国際連盟の「話し合い重視」の姿勢と、
日本の行動は次第に噛み合わなくなっていきました。
国際連盟からの脱退へ
1930年代に入ると、
日本は国際連盟と決定的に対立します。
国際社会からの批判を受け、
日本は最終的に国際連盟を脱退しました。
この出来事は、
- 日本が国際協調の枠組みから離れた瞬間
- 世界との距離が一気に広がった転換点
として、日本史でも重要な意味を持ちます。
大正・昭和の流れの中で見た国際連盟
国際連盟への参加は、
- 大正時代の国際協調
- 世界と手を取り合おうとした姿勢
を象徴する出来事でした。
しかし同時に、
その理想が維持できなかったことも事実です。
👉 この外交の変化は、
**「五・四運動とは?中国で高まった民族運動」**や
**「昭和時代まとめ|「戦争」と「復興」を生き抜いた64年」**と
あわせて読むと、東アジア全体の流れが見えてきます。
まとめ
・国際連盟は第一次世界大戦後につくられた平和組織
・日本は戦勝国として参加し、世界の一員となった
・しかし理想と現実のズレから、日本は脱退へ向かった
国際連盟を知ることは、
なぜ日本が国際協調から離れていったのかを理解する大きな手がかりになります。

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