🌱 このページは、日本史が苦手な人向けに
南北朝時代を「暗記」ではなく、
なぜ分裂し、なぜ長く続き、何を残したのかを
物語の流れでやさしく整理します。
はじめに|ここで日本史がわからなくなった人へ
南北朝時代と聞いて、
「天皇が二人いるってどういうこと?」
「どっちが正しいの?」
と、ここで日本史が止まってしまった人はとても多いです。
それも無理はありません。
南北朝時代は、日本史の中でも いちばん混乱しやすい時代 です。
なぜならこの時代、日本には
同時に二人の天皇が存在していたからです。
ですが安心してください。
南北朝時代は、出来事を順番に追っていくと、
決して意味不明な時代ではありません。
この時代は、
「正しさ(権威)」と
「実際に国を動かす力(権力・武力)」
が、うまくかみ合わなかったことで生まれた分裂の時代なのです。
南北朝時代の全体像|まずは流れをつかもう
南北朝時代は、次のような流れで進みます。
- 建武の新政が失敗する
- 天皇と武士が決裂する
- 天皇が二つに分かれる
- 武士たちは状況に応じて立場を変える
- 決着がつかないまま、約60年続く
この「終わりにくさ」こそが、
南北朝時代最大の特徴です。
📜 南北朝時代 年表(南朝・北朝を分けて整理)
🌸 南朝(正統性を重視した天皇側)
| 年 | 出来事 | 人物 | やさしい説明 |
|---|---|---|---|
| 1334年 | 建武の新政 | 後醍醐天皇 | 天皇が政治を取り戻そうとした理想の政治 |
| 1336年 | 吉野へ移動 | 後醍醐天皇 | 京都を追われ、奈良・吉野に拠点を移す |
| 1336年 | 南朝成立 | 後醍醐天皇 | 「こちらこそ正しい天皇だ」と主張 |
| 1339年 | 後醍醐天皇 崩御 | 後村上天皇 | 南朝の中心人物が交代 |
| 1350〜1352年 | 観応の擾乱に介入 | 後村上天皇 | 武士側の内輪もめを利用して巻き返し |
| 1368年 | 南朝勢力の衰退 | 長慶天皇 | 支援する武士が減っていく |
| 1392年 | 南北朝合一 | 後亀山天皇 | 天皇が一人に戻り、分裂が終わる |
🌿 北朝(武士に支えられた朝廷)
| 年 | 出来事 | 人物 | やさしい説明 |
|---|---|---|---|
| 1336年 | 北朝成立 | 光明天皇 | 足利尊氏が京都に新しい天皇を立てる |
| 1338年 | 征夷大将軍就任 | 足利尊氏 | 武士のトップとして正式に認められる |
| 1339年 | 室町幕府本格始動 | 足利尊氏 | 京都を中心に武士政権が動き出す |
| 1350〜1352年 | 観応の擾乱 | 足利尊氏・足利直義 | 将軍家内部での深刻な対立 |
| 1368年 | 足利義満が実権掌握 | 足利義満 | 幕府を立て直す存在が現れる |
| 1392年 | 南北朝合一 | 足利義満 | 南朝と和解し、天皇を一本化 |
なぜ南北朝時代は始まったのか
きっかけは、建武の新政でした。
後醍醐天皇は、
「天皇中心の政治を取り戻したい」
という強い理想を持っていました。
しかし当時、
実際に国を動かしていたのは武士たちです。
天皇の理想と、
武士の現実的な考えは、
少しずつズレていきます。
その結果、
天皇と武士の代表格だった足利尊氏は対立し、
天皇は京都を追われ、奈良・吉野へ向かいます。
こうして生まれたのが、
- 吉野に拠点を置く 南朝
- 京都で武士に支えられた 北朝
という、
二つの朝廷でした。
南朝と北朝の違いをやさしく整理する
ここが一番混乱しやすいポイントです。
南朝とは?
- 後醍醐天皇の流れをくむ朝廷
- 「正しい天皇はこちらだ」と主張
- 正統性(権威)を重視
北朝とは?
- 足利尊氏が京都に立てた朝廷
- 実際に政治を動かしていた
- 実権(権力・武力)を重視
これを例えるなら、
南朝は「正しい社長」
北朝は「会社を動かしている現場責任者」
のような状態です。
どちらか一方が完全に間違っていたわけではありません。
だからこそ、簡単には決着がつかなかったのです。
なぜ争いは60年も続いたのか
南北朝時代が長引いた理由は、とても現実的です。
- 武士たちは「勝ちそうな側」に付いた
- 状況が変わると、立場を変える武士も多かった
- 決定的な勝利が生まれなかった
さらに、
武士の中心だった足利一族の中でも
内輪もめ(観応の擾乱) が起こります。
これは、
チームをまとめるはずのリーダー同士が
言い争っている状態でした。
こうして、
「誰が正しいのか」
「誰の命令を聞くべきか」
が最後まで曖昧なまま、
南北朝時代は続いていきます。
南北朝時代が室町幕府に残したもの
1392年、
足利義満の仲介によって
南朝と北朝は合一します。
天皇は再び一人になりました。
しかし、
この60年間の分裂が残した影響はとても大きなものでした。
- 将軍の立場は最初から不安定
- 天皇の権威は以前ほど強くない
- 武士は「自分で判断する」ことに慣れてしまった
これが、
その後の室町時代が安定しきれなかった理由であり、
やがて戦国時代へ向かう土台になります。
おわりに|南北朝時代とは何だったのか
南北朝時代は、
単なる内乱の時代ではありません。
「正しさ(権威)」と
「実際の力(権力・武力)」
が一致しなかったことで、
日本全体が長く迷い続けた時代でした。
この分裂を経験したからこそ、
室町幕府は
「どう国をまとめるか」
という重い課題を背負うことになります。
南北朝時代を理解すると、
室町時代がなぜ不安定だったのか、
そしてなぜ戦国時代へ向かったのかが、
自然と見えてくるはずです。
最後の3行まとめ(ジャパレキ式)
- 南北朝時代は、天皇が二人存在した分裂の時代
- 正統性と実権がズレたことで混乱が長期化した
- この経験が、室町時代と戦国時代への道をつくった

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