1920年、日本は突然「景気が悪い国」になりました。
つい数年前まで、工場は忙しく、輸出は伸び、街には活気がありました。
ところが戦争が終わった途端、注文が減り、会社は苦しくなり、失業も増えていきます。
この急ブレーキが 戦後恐慌(せんごきょうこう) です。
この記事では、
戦後恐慌が起きた理由、世界との関係、日本社会への影響、そして“次の不安”へどうつながったのかを整理します。
戦後恐慌とは何か
**戦後恐慌(1920年)**とは、
第一次世界大戦後の反動で起きた、日本の大きな景気後退です。
ポイントは「戦争が終わったから景気が落ちた」だけではなく、
戦争中に膨らんだ経済が、戦後に一気にしぼむ形で崩れたことにあります。
なぜ不況になったのか|戦後恐慌の主な原因
戦争景気が終わり、輸出が急に減った
第一次世界大戦中、日本は欧州の生産力低下を背景に、輸出が伸びました。
特に繊維や雑貨などは海外需要が増え、国内の工業は拡大します。
しかし戦争が終わると、状況は逆転します。
- 欧州が生産を再開し、競争が戻る
- 需要が落ち着き、注文が減る
- 輸出で稼げなくなる
戦争中の“伸び”が大きかったぶん、落差も大きくなりました。
物価が上がりすぎて、反動で崩れた
戦争中は需要が増え、物価も上がりました。
企業は「これからも伸びる」と考えて設備投資を進めます。
ところが戦後は、需要が減ったのに供給(工場の生産力)は増えたまま。
結果として、
- 在庫が積み上がる
- 価格が下がる
- 企業の利益が消える
という形で、バランスが崩れていきます。
投機(とうき)熱が冷め、資金が一気に引いた
好景気のときほど起こりやすいのが、
「値上がりを見込んで買う」投機の拡大です。
戦争景気の間、相場は強く、投機も膨らみました。
しかし戦後に先行きが怪しくなると、資金が引いて相場は崩れます。
この変化は、実体経済(工場や雇用)にも波及しました。
金融が引き締まり、企業が息切れした
不況局面では、銀行は貸し出しに慎重になります。
企業は資金繰りが厳しくなり、倒産が増えやすくなります。
戦後恐慌は、単なる「売れない不況」ではなく、
資金が回らない不況として、企業を直撃しました。
世界との関係|なぜ戦後の不況は日本にも来たのか
戦後恐慌は国内要因だけでなく、世界経済の変化とも結びついていました。
- 戦争が終わり、国際貿易の構造が戻った
- 欧州の生産復帰で、日本の輸出が相対的に弱くなった
- 世界的に「戦争特需」が消え、景気が落ち着いた
日本は戦争中に急成長した分、
世界の空気が変わると、その影響を強く受けたのです。
日本に起きた影響|企業・雇用・社会の変化
戦後恐慌の影響は、暮らしに直接現れます。
- 倒産の増加
- 工場の操業縮小
- 失業者の増加
- 賃下げや生活不安の拡大
戦争景気の「拡大の勢い」が強かった産業ほど、落ち込みも深くなりました。
戦後恐慌の“歴史的な意味”|この不況は終わりではなかった
戦後恐慌は、単発の出来事ではありません。
この時期に生まれた弱さが、その後の不安につながっていきます。
- 金融や企業に無理が残る
- 不況に耐える体力が落ちる
- 次の危機で崩れやすくなる
そして日本は、1920年代後半に 金融恐慌(1927年) を迎え、
さらに1929年の 世界恐慌 の波を受けて、昭和恐慌へと進んでいきます。
まとめ|戦後恐慌(1920)のポイント
・戦後恐慌は、第一次世界大戦後の反動で起きた大不況
・輸出の急減、物価の反動、投機の崩れ、金融引き締めが重なった
・倒産・失業が増え、暮らしの不安が広がった
・この不況は、後の金融恐慌(1927)や世界恐慌(1929)につながる“前段”になった
戦後恐慌を押さえると、
「なぜ昭和のはじまりが不安だったのか」が一本の線で見えてきます。
次に読むと流れがつながる記事(内部リンク)
- 金融恐慌とは?1927年に大正経済が揺れた理由(URL)
- 関東大震災とは?社会と政治を一変させた理由(URL)
- 世界恐慌とは?1929年に始まった世界規模の不況(URL)
- 昭和恐慌とは?なぜ不況が深刻化したのか(URL)
- 昭和時代まとめ|「戦争」と「復興」を生き抜いた64年(URL)

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