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銀行法(1927)とは?恐慌後に何が変わった?

1927年の金融恐慌で、日本の銀行は「信用が揺らぐ怖さ」をまともに味わいました。
うわさ一つで預金が引き出され、銀行が止まり、街の商売まで息ができなくなる。

この経験のあと、「同じ崩れ方を繰り返さないために」用意されたのが 銀行法(1927年制定) です。
ポイントはシンプルで、銀行を“ちゃんと銀行らしく”するためのルールを、国がはっきり持つようになったことでした。

この記事では、銀行法(1927)が何を狙い、恐慌後に何が変わったのかを、読みやすく整理します。


目次

銀行法(1927)とは何か

銀行法(1927)は、金融恐慌の反省を踏まえて、普通銀行の制度を整え、健全な経営と信用秩序を守ることを主眼に作られた法律です。
(のちに1981年の全面改正で「現行銀行法」へつながっていきます。)

※この法律は1927年に成立・公布され、実際の運用は翌年から本格化しました。


なぜ必要だった?|恐慌が暴いた「当時の銀行の弱点」

金融恐慌が広がった背景には、景気そのものの問題だけでなく、銀行側の“構造的な弱さ”がありました。

たとえば、

  • 小さな銀行が多く、体力差が大きかった
  • 銀行の経営者が事業会社の経営も行い、身内や関係先への貸し出しが膨らみやすかった
  • 不良債権の処理が見えにくく、うわさが出ると不安が連鎖しやすかった

こうした土台の上で、ひとたび不安が走ると「取り付け騒ぎ」が起き、信用が崩れます。

👉 背景を先に押さえるなら
金融恐慌とは?1927年に大正経済が揺れた理由
取り付け騒ぎとは?なぜ銀行が止まるのか
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恐慌後に何が変わった?|銀行法(1927)の“効いたポイント”

ここからが本題です。銀行法(1927)は、「銀行が崩れる典型パターン」をつぶす方向で制度を組み直しました。

1) 銀行は「株式会社」が基本に

銀行は公共性が高いのに、当時は形態もバラバラで、統一した規律が効きにくい面がありました。
銀行法では、普通銀行を株式会社中心の仕組みに寄せることで、ガバナンス(経営の責任の取り方)を整えやすくしました。


2) 最低資本金ルールで“小さすぎる銀行”にブレーキ

恐慌後の制度づくりでわかりやすいのが、最低資本金の考え方です。

ざっくり言うと、
「銀行を名乗るなら、最低限の体力を持て」という線引きが入った、ということ。

これにより、基準を満たせない銀行は

  • 増資して体力をつける
  • 合併して規模を上げる
  • 事実上、退場する

という選択を迫られ、銀行の整理・統合が進みやすくなりました。


3) 兼業禁止・役員の兼任制限で“身内融資”を起こしにくく

恐慌の背景には、銀行が「事業会社の財布」になってしまう問題もありました。
そこで銀行法は、**他の事業を原則として行わせない(他業禁止)**方向を明確にし、あわせて 銀行役員の兼職にも制限をかけました。

狙いは、銀行が銀行としての役割(預金・貸付・決済)に集中し、
特定の関係先に資金が偏るリスクを減らすことでした。


4) 支店・合併などを“勝手に増やしにくく”してコントロール

支店を増やしすぎたり、無理な拡大競争をしたりすると、銀行は中身が追いつかず倒れやすくなります。
銀行法は、支店の設置や合併などについて、認可・許可の枠組みを強め、監督の手を届かせやすくしました。


5) 報告・検査の強化で「見えない不安」を減らす

恐慌では、“中身が見えないこと”が不安を増幅させます。
銀行法の時代は、当局の監督・検査の考え方がより前に出て、銀行の状況把握や健全性の確保が強化されていきました。


銀行法(1927)の影響|すぐ効いたこと/時間がかかったこと

すぐ効いたこと:統合が進みやすくなった

最低資本金や認可の枠ができたことで、弱い銀行は単独で生き残りにくくなり、合併・整理が加速します。
「銀行が多すぎて、弱点も見えにくい」状態を、制度で動かしたイメージです。

時間がかかったこと:景気そのものは制度だけで回復しない

ただし、制度が整っても、景気が自動で良くなるわけではありません。
このあと世界恐慌(1929)→昭和恐慌へ進む流れの中で、日本は経済の大波を受けることになります。

👉 不況の流れもセットで
世界恐慌とは?1929年に始まった世界規模の不況
昭和恐慌とは?なぜ不況が深刻化したのか


まとめ|銀行法(1927)が変えたもの

  • 金融恐慌の反省から、銀行を“銀行らしく”するための制度が整えられた
  • 株式会社化、最低資本金、兼業禁止、役員兼任制限などで銀行の弱点をつぶしにいった
  • 支店・合併等に認可の枠を置き、監督と整理・統合を進めやすくした
  • ただし景気の回復は別問題で、のちに世界恐慌・昭和恐慌の波が来る

銀行法(1927)は、恐慌のあとに「金融の背骨」を作り直そうとした一手でした。
恐慌は“事件”として語られがちですが、制度が変わった瞬間に注目すると、当時の危機感がよりリアルに見えてきます。

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