関東大震災(1923年)のあと、日本の経済は「復興」に向けて動き出しました。
けれどその裏側で、金融の中に“処理しきれない不安”が残ります。
それが 震災手形(しんさいてがた) です。
一見すると、被災した企業や銀行を助けるための仕組み。
しかし時間がたつほど、その手形は金融不安を増幅させ、
1927年の金融恐慌(取り付け騒ぎ)の背景にもなっていきました。
この記事では、
震災手形が何だったのか、なぜ問題になったのか、そして日本社会に残した影響までを整理します。
震災手形とは何か
震災手形とは、関東大震災の混乱で資金が回らなくなった企業や銀行を支えるために使われた、特別な手形です。
手形は、ざっくり言えば「一定期間後に支払う約束」を紙にしたもの。
普段であれば期日が来れば決済されますが、震災後は状況が特殊でした。
- 被災で工場や店が動かない
- 売上が立たない
- それでも支払い期日は来る
このままでは倒産や連鎖破綻が広がってしまう。
そこで「一時的に支払いを猶予し、金融をつなぐ」目的で震災手形が使われます。
なぜ震災手形が必要だったのか|震災直後の“お金の詰まり”
関東大震災は建物だけでなく、経済の血管=金融を詰まらせました。
- 現金が不足する
- 取引先が被災し、入金が止まる
- 銀行も被害を受け、通常の貸し出しが難しくなる
こうした状況で、企業は手形の支払いに追われます。
支払いが止まれば、次の企業へ連鎖し、倒産が増えていく。
震災手形は、この連鎖を止めるための“延命策”でした。
👉 震災そのものの影響を整理するなら
「関東大震災とは?社会と政治を一変させた理由」(内部リンク)
なぜ金融不安の火種になったのか|問題になった3つのポイント
震災手形が危険だったのは、仕組みそのものというより、
「処理が長引いたこと」と「中身が見えにくかったこと」です。
① 期限の先送りが続き、“不安”が残り続けた
手形は本来、期日が来れば支払いが行われて終わります。
しかし震災後は、回復が遅れ、手形の処理が一気に進みませんでした。
結果として、金融機関の中に
「いつ回収できるかわからないお金」
が残り続けます。
これは銀行の体力を確実に削ります。
② 不良債権が混ざり、銀行の実態が見えなくなった
震災の混乱の中では、
「本当に回収できる手形」と「もう回収が難しい手形」が混ざりやすくなります。
外から見ると、銀行が
- どれだけ危ないのか
- どれだけ健全なのか
判断しにくい状態になりました。
金融は“信用”で成り立つため、
見えにくさはそのまま不安材料になります。
③ 銀行の資金繰りを苦しくし、取り付け騒ぎに弱くした
銀行の中に回収不能な資産が増えると、
現金を用意できる力(流動性)が落ちます。
そこへ「銀行が危ないらしい」という噂が広がると、
預金者が引き出しに動き、取り付け騒ぎが起きやすくなる。
震災手形は、直接の引き金ではなくても、
銀行を“取り付けに弱い体質”にしていったのです。
👉 取り付けの仕組みを別記事で補強するなら
「取り付け騒ぎとは?なぜ銀行が止まるのか」(内部リンク)
1927年の金融恐慌との関係|火種が表面化した瞬間
震災から数年後の1927年、
日本は全国規模の金融不安に飲み込まれます(金融恐慌)。
このとき銀行はすでに、
- 戦後不況の影響(1920年頃〜)
- 震災の後処理(震災手形の問題)
で体力を落としていました。
そこに不安が連鎖し、取り付け騒ぎが広がったのです。
👉 前後の流れを一本でつかむなら
「金融恐慌とは?1927年に大正経済が揺れた理由」(内部リンク)
震災手形が残した影響|“救済”が“重荷”になるとき
震災手形の問題は、単に「悪い政策だった」という話ではありません。
緊急時には、延命策が必要になることもあります。
ただ、その延命策を
- いつまでに
- どう処理するのか
- どこまで公的に支えるのか
が不明確だと、不安が長引き、金融の信用が削れていきます。
震災手形は、危機対応の難しさを示した代表例でした。
まとめ|震災手形が“火種”になった理由
・震災手形は、関東大震災後に資金繰りを支えるための特別な手形
・処理が長引き「回収できるか不安なお金」が金融機関に残った
・不良債権が混ざり、銀行の実態が見えにくくなった
・銀行が取り付け騒ぎに弱くなり、1927年の金融恐慌の土台になった
震災手形を押さえると、
「なぜ1927年の金融恐慌が突然ではなかったのか」が見えてきます。
次に読むと流れがつながる記事
- 関東大震災とは?社会と政治を一変させた理由
- 戦後恐慌(1920)とは?なぜ不況になったのか
- 取り付け騒ぎとは?なぜ銀行が止まるのか
- 金融恐慌とは?1927年に大正経済が揺れた理由
- 世界恐慌とは?1929年に始まった世界規模の不況

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